アンダ フリッチャイ指揮ベルリン放送響 バルトーク ピアノ協奏曲第2番(1959.9録音)ほか

アンダのフリッチャイ追悼の言には悲しみはもちろんのこと、懐かしさと同時に夭折の指揮者に対する畏敬の念が込められている。

バルトークの協奏曲のレコードによってディスク大賞を受賞したのちに、私たちはヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とピアノ協奏曲第2番を演奏しました。それは、私にとっておそらく最高の演奏であったと思います。フリッチャイは演奏会後すぐに、もっと素晴らしいレコードを残すため、すべてのバルトーク作品をもう一度録音したいという希望を語っていました。彼は新録音のために、この先2年の予定を決め始めていたのですが、その計画もついに実現するには至りませんでした。
(ゲーザ・アンダ「もっと素晴らしい演奏を目指して」)
フェレンツ・フリッチャイ著/フリードリヒ・ヘルツフェルト編/野口剛夫(訳・編)「伝説の指揮者 フェレンツ・フリッチャイ 自伝・音楽論・讃辞・記録・写真」(アルファベータブックス)P226-227

確かにフリッチャイのバルトーク作品すべての再録が叶わなかったことは残念なことだ。しかし、バルトークを愛した指揮者の残したバルトーク録音はもちろんそのすべてが人類の至宝と言って良い。中でも、アンダと協演したピアノ協奏曲は生命力溢れる必聴の名演奏だ。

バルトークの傑作の緩徐楽章を指揮するのが、私はことのほか好きだ。彼の緩徐楽章は、私たちにはただ予感できるだけで認識はできない影の世界を呼び出す。不気味で実体のない幽霊のような影が、片時だが浮かび上がり、孤独のうちにある人を幻覚が苦しめる。絶望の音楽が来たるものへの不安を表すが、その響きの中では知られざる夜の世界がいつまでも続くのだ。こうした特徴を持つ音楽として、私はピアノ協奏曲第2番と《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》の緩徐楽章、そしてピアノ協奏曲第3番の第2楽章、《オーケストラのための協奏曲》の第3楽章を挙げたい。
(フェレンツ・フリッチャイ「バルトークのこの世を超えた音楽世界」)
~同上書P73

フリッチャイの文学的な言葉が音楽に光輝を与えてくれる。
夜の音楽が、なんて明るく、そして軽快に聴こえることか。そう、彼の音楽はアンダが言う通り実に浪漫豊かなのだ。

バルトークのピアノ協奏曲第2番は、当初聴衆にとっては理解しがたい騒音のように感じられたかもしれませんが、実のところとてもロマンティックな音楽です。そしてまさにこの点まで理解が及んだことが、私たちがこの作品を演奏しての成功の秘密であったと思っています。私はこの曲を、たとえばシューマンのピアノ協奏曲と同じくらいの愛情をもって弾きましたし、フリッチャイもオーケストラ・パートをただの伴奏ではなく、ブラームスの交響曲と同じくらい重要なものと認識していました。
(ゲーザ・アンダ「もっと素晴らしい演奏を目指して」)
~同上書P226-227

追悼文からはアンダの無念が感じられる。それほどにフリッチャイとの協演は刺激的であり、彼にとっての最大の喜びの一つだったのだろうと想像する。

バルトーク:
・ピアノ協奏曲第1番イ長調Sz.83(1926)(1960.10.15-19録音)
・ピアノ協奏曲第2番ト長調Sz.95(1930-31)(1959.9.19, 15 &16録音)
・ピアノ協奏曲第3番ホ長調Sz.119(シェルイ補筆完成)(1945)(1959.9.7-9録音)
ゲーザ・アンダ(ピアノ)
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団

第2番ト長調の、ストラヴィンスキーを髣髴とさせる音調に、これぞ夜の音楽ではなく真昼の音楽であることをあらためて知る。そして、何より僕が惹かれるのは、(フリッチャイの愛してやまない)未完の第3番ホ長調第2楽章アダージョ・レリジオーソの(まるでフリッチャイ自身の鎮魂曲かと思わせるほどの)安息の響き。ここにこそバルトークの天才を、あるいはアンダとフリッチャイの協働と音楽的技量の崇高な高さを思うのである。

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