ロシア的憂愁の象徴であり、ロシア的浪漫の鑑である初期アレクサンドル・スクリャービン。いわゆる神秘主義といわれる思想に侵される(?)前の彼の音楽はどれも本当に美しい。ショパンの影を追いながら、そしてリストのようなヴィルトゥオジティを追求しながら、あくまでスクリャービンたらんとした、調性を維持する作品たちは止めどなく流れる慈しみの涙の如く清らかで尊い。
嬰ト短調ソナタ第1楽章アンダンテにある愛と死と。なるほど、この人も元はワグネリアンだったんだ。生と死とをひとつと捉えた光に満ちる美しい調べ。こんな旋律を生み出せること自体、ラフマニノフに負けず劣らずの天才。劇的な第2楽章プレストも、ショパンの「葬送」ソナタ終楽章の疾風を倣い、音楽は一気呵成に駆け抜ける。
アナトール・ウゴルスキの演奏が絶品だ。アンダンテは徹底的に歌い、プレストはこれでもかと言わんばかりにうねり、咆哮する。
脱調性後のスクリャービンの作品は興味深い。しかし、どれも重く、どこか自然に心に響かない難しさがある。おそらくそれは、晩年になるにつれ、ほとんど暗黙の了解として彼を「救世主」として祭り上げようとする人々が増えていったこと、同時に彼自身があくまでグルとして振舞おうと勘違いした結果のことなのだろう。
スクリャービンは弱かった。そして、たぶんに妄想(?)も強かった。
これは文字通りに自分で語られることはなかったが、皆は暗黙の内に考えた―外国で仕立てたエレガントな背広をまとい、ふさふさした口髭を蓄えた小柄な人間、肘掛け椅子に座り、普通の輪型のパンや乾パンを食べているこの人間に、超自然的なことができ、世と全人類の終末が彼次第であり、彼が我が人類の救世主だということを。
~レオニード・サバネーエフ著/森松皓子訳「スクリャービン―晩年に明かされた創作秘話」(音楽之友社)P159
スクリャービンという幻想を世間が創り出したということ。逆に言うと、それほどにこの天才は魅力的だったということ。
疑いもなく彼には魅力があった。彼は神経質な人たちと同様、電気を充満した雰囲気を有していた。これは皆も感じた。一分たりとも落ち着かず、椅子に座っていても常に緊張していた。
~同上書P160
その上、いかにも人間離れした生活が彼を一層世間と隔離した。スクリャービンが覚醒すればするほど音楽はより一般社会からはずれたものになっていった。いかにもという作風のソナタ第7番作品64「白ミサ」にある「神秘主義」という名の眩惑。独特のトリルにみる精神の高揚はある種麻薬のよう。ウゴルスキのピアノが跳ね、同時に沈潜する。
偉大な作曲家の生活は、離れて見ると風変わりだった。彼は少数の仲間の中に閉じこもり、仲間だけが秘められた重要事項を(完全ではなかったが)知っていた。彼は物理的に他の世界から切り離されていた。世間の僅かな部分だけが彼の音楽を知りたいと願っていた。人類を先導しようとする彼の本質は、多くの音楽家にさえまったく知られず、また彼が誰をどこに連れて行くのかも彼らには不明だった。だが彼は自分が世の中から隔絶されていることに気づきもしなかった。
~同上書P154
友人であるレオニード・サバネーエフの回想は真実に満ちる。それにしてもスクリャービンが自身の内側に気づけなかったとは!
スクリャービン:ピアノ・ソナタ全集
・ピアノ・ソナタ第2番嬰ト短調作品19「幻想」
・ピアノ・ソナタ第5番嬰ヘ長調作品53
・ピアノ・ソナタ第7番作品64「白ミサ」
・ピアノ・ソナタ第8番作品66
・ピアノ・ソナタ第3番嬰へ短調作品23
アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)(2007.11&2008.10録音)
神秘というより、鋼のように冷徹なソナタ第8番作品66。触れるだけで血が出るほどの切れ味はウゴルスキの真骨頂。
サバネーエフはまた証言する。
彼の作品は愛を欠き、だから人間性を欠いていた。彼が落ちこんだのは眩暈と冷たい恍惚の世界であり、燃える光の世界ではない。崇拝者のボリスさえ、冷たさと非人間性を認めた。曲の特異な雰囲気と、創作した宇宙の形に閉じ籠る傾向が、図式性を示していた。
~同上書P179
何とスクリャービン芸術を見事に言い当てた表現。
とはいえ、初期のものにはまだ十分に愛はあったと僕は思う。嬰へ短調ソナタにその片鱗が垣間見える。無条件の美しさ・・・。
アナトール・ウゴルスキ万歳!!
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[…] するのである。 また、ウゴルスキの演奏は、音の一粒一粒を丁寧に奏し(スクリャービンを演奏するときの姿勢に極めて近い)、フレーズとフレーズ(すなわちそれぞれの鳥の声)を有 […]
[…] ※過去記事(2015年11月19日)※過去記事(2015年9月18日) […]