“Brian Jones presents The Pipes of Pan at JAJOUKA”を聴いて思ふ

brian_jones_jajouka606楽譜を持たない口承の音楽。
熱に浮かれたように人々は狂い、踊り、歌う。すべての幸福のために。
ブライアン・ジョーンズは語る。

それより、あの祭りの信じられないような緊張感に耐えられるだけのスタミナが、果たしてこの僕にあるんだろうか。まさに西洋文化による精神虚弱だ。ジャジューカにはまだ道もなく、電気も下水も、いわゆる“慰めとなるもの”は何もない。ほとんどの人間は居心地の悪さから苦しくて叫びたくなるだろう。
PHCP-1473ライナーノーツ

もちろん文化や文明を否定するつもりは毛頭ない。
しかし、それによって僕たちが「精神虚弱」に陥っただろうことは確かだ。
第1曲”55”から第2曲”War Song/ Standing + One Half”にかけての、ガイタと呼ばれるダブル・リードの笛によるユニゾンの音楽は、のっけからトリップ感満載。
そして、第3曲”Take Me with You My darling, Take Me with You”の、種々のパーカッションの淡々と打ち叩かれるリズムに乗り女性が合唱するその歌に、ただただ呆然とせざるを得ない。人間の秘めた内なるパワーの凄さをあらためて知る。

モロッコ、ベルベル人のジャジューカ村の音楽は、ボウ・ジェロウドという名の半人半羊の牧羊神の伝説と共に伝えられてきた秘教的性格の濃い儀式音楽であり、豊作や村人の幸福を祈願するために演奏される。そしてそれを代々受け継いできたアッタールー族を中心とする演奏者たちは、農業などの責務から解かれた音楽のプロ集団だ。
(松山晋也「ブライアン・ジョーンズのアルバム」)
レコード・コレクターズ1998年3月増刊号「STONED!―ザ・ローリング・ストーンズ・アルティミット・ガイド」P172

大いなるミニマル・ミュージック。実にエネルギッシュだ。
そして、ここにあるのは、まさに岡本太郎氏が言う、分化される前のハーモニーであり、ただの遊びでない、神聖な「まつり」の幅ひろい根源的な喜びなのである。

Brian Jones presents The Pipes of Pan at JAJOUKA

All music composed and performed by The Master Musicians of Jajouka
Produced by Brian Jones

時間の経過とともに音楽はエスカレートする。第4曲”Your Eyes Are Like a Cup of Tea”に至っては、朦朧とした意識の中で自分を見失うかのよう。
これこそ恍惚の極致。なるほど、ブライアンがスタミナが持つかどうか不安になったのも頷ける。

続く”I Am Calling Out”は、打楽器とハンド・クラッピングをベースに男たちが歌うおそらく祈りの音楽(何が歌われているかはわからないが)。魂の髄にまで届くこういう響きは、僕たちの良心にひもづくような慈悲に溢れる。
そして、フルートを伴った”Your Eyes Are Like a Cup of Tea”(Reprise)の幻想。

さあ、この音楽を聴け。
4000年前から伝わる
ロックン・ロール・バンドの音を・・・
からだ全体で聴け。
からだ中に染み込ませて、動かされてみろ。
すると君は、
地球最古の音楽とひとつになれるのだ。
(ウィリアム・バロウズ/ブライアン・ガイシン)
PHCP-1473ライナーノーツ

なお、本CDには、ボーナス・トラックとして2曲(”Take Me with You My darling, Take Me with You”及び”Your Eyes Are Like a Cup of Tea”)のリミックス・バージョンが収められている。これらは第三世界の呪術的音楽に、いわば西洋的洗練と東洋的エキゾチックさを掛け合わせた作品として生まれ変わっており、実に素晴らしい。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

6 COMMENTS

雅之

モロッコといえば、昨年NHK総合で日曜夜にやっていた海外ドラマ「情熱のシーラ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E7%86%B1%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A9

が面白かったです(DVDにもなっています)。

特に、モロッコから見た第二次大戦前夜の光景は新鮮でした(オール現地ロケ)。

ふと気付いたんですが、戦争も祭りの一種ではないでしょうか? あの、多くの人々を虜にする異様なトリップ感や陶酔感。終わったあとの虚脱感。

そして、空襲、空爆はでっかい花火大会みたいです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>戦争も祭りの一種ではないでしょうか?
>空襲、空爆はでっかい花火大会みたいです。

なるほど!興味深い視点です。不謹慎な気もしますが・・・(笑)

ご紹介のドラマは見ていなのでわかりませんが、面白そうですね。
ありがとうございます。

返信する
雅之

「花火大会は嫌いだ、行きたくない」という、あるお年寄りの話を思い出しました。

隅田川の花火大会での「ヒュー、ドン、ドン・・・」という音は、東京大空襲で家族や友人を失った時の音そのものだと。

実際、花火の普及は、鉄砲など武器に使う火薬の進化抜きで語れませんしね。

それに、たとえば「諏訪御柱」は人間魚雷や神風特攻隊みたいです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>実際、花火の普及は、鉄砲など武器に使う火薬の進化抜きで語れませんしね。

おっしゃるとおりです。すべてのものに功罪両方あることを知らないといけないですね。
ありがとうございます。

返信する
雅之

「祭り」とは、戦争にならないためのガス抜き、あるいはワクチンなんじゃないかな。だから「ハルサイ」を持ち出すまでもなく、危険な死の香りと隣り合わせにある。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む