リリ・ブーランジェ―不完全な絶対

lili_boulanger_wood.jpgワークショップZERO。今宵も終了後皆と打ち上げ。ほろ酔いの心地よい気分を味わわせていただく。帰路の地下鉄の中で少し思った。こういう「システム」はあくまで内々で通じるもので、外の、まったく関係のない人々から見たら有効でも何でもないものになり得る。昔は、「絶対的」だという根拠のない自信を持っていたが、「絶対」というものが存在しないというのが世の常。それこそ謙虚に、いつも学ばせていただくという姿勢で臨むべきなのだろう、人間というもの。いつまでたっても完全にはならず(それだからこそ参加した人は喜んでくれるのだ)。

昨晩、就寝間際に寝そべりながら、リリ・ブーランジェの伝記を斜め読みした。この不世出の女性作曲家の短い人生の中での苦悩と苦闘、そして自身の音楽を生み出すことに対する執念というものを目の当たりにし、たとえ燃え尽きたとしても己の本能、あるいは自身の感性に正直に生きるべきだと再確認した。深刻な容態にもかかわらず、最晩年には最後の力を振り絞っていくつかの作品を仕上げる。結局完成ならなかったメーテルリンクの戯曲をもとにしたオペラ「マレーヌ姫」のスケッチを続けながら、詩篇第130番による「深き淵より」、そして「仏教徒の深い祈り」が完成される。幼い頃から病弱で、しかも身内の「死というもの」に何度も直面した彼女らしく、宗教心を決して忘れなかった。人間の世界に「絶対」がないとするなら、神々のおわす世界こそが「絶対」だったということ。わずか24歳で神に召され、あの世に旅立ったリリは、此岸に思い残すことがあったのかどうか、それは定かでないが、少なくとも白鳥の歌「ピエ・イエズ」を聴く限りにおいて最早未練はなかったように推測できる。

フランシス・ジャムの詩集「悲しみ」から選んだ13編に曲をつけた「天の空間(空の晴れ間)」。不安定ながら地に足の着いた不思議な音調をもつこの音楽には心底惹かれる。常に揺れているこの感覚は、やはり世界に完全はないことを暗示する。

リリ・ブーランジェ:
・歌曲集「天の空間」
・ソプラノ独唱、合唱とピアノのための「シレーヌ」
・独唱とピアノのための「復活」
・メゾソプラノ独唱、合唱とピアノのための「太陽の賛歌」
・バリトン独唱、合唱とピアノのための「ある兵士の葬儀のために」
・ソプラノ、テノール、バリトン、合唱とピアノのための「平原の夕暮れ」
マーティン・ヒル(テノール)
アンドルー・バル(ピアノ)
ジェームズ・ウッド指揮ニュー・ロンドン室内合唱団

「天の空間」が作曲された1913年のパリは歴史の分岐点にあった。ストラヴィンスキーの「春の祭典」がシャンゼリゼ劇場で初演され、物議を醸したのはこの年。日本からは島崎藤村が訪れ3年間この都市に滞在するのも1913年。そして、画家の藤田嗣治が新妻を捨て渡仏したのも同じ年。時代の先を走る芸術家にとっては「転換」を表す大事な年だったといえる。ちなみに、この年が、リリにとっても有意義で、充実した年だったことは、この作品を耳にするだけで容易に想像できる。不完全であるがゆえの完全性。五体不満足であるがゆえの満足感。後世の人間の勝手な言い草だが、そんな喜びが垣間見える作品たちだ。

歌曲集「天の空間」が初演されたのは、作曲者の死のまさに1週間ほど前。病床にあったリリはついに実際の音を聴くことはなかった。


7 COMMENTS

雅之

こんばんは。
今回は、ブログ本文のご意見に100パーセント同感です。リリ・ブーランジェの「天の空間」、私はシューベルトのこの分野での最高傑作と言われている「冬の旅」よりも、愛しているくらいです。真の大傑作だと断定したいです。
やけに訃報が続きます。「悲歌のシンフォニー」で有名な作曲家、ヘンリク・グレツキ氏(76)の訃報も驚きましたが、音楽評論家の小石忠男さん(81)がお亡くなりになったことにもびっくりしました。最近買って聴き大いに感動し気に入ったSACD、
メンデルスゾーン 交響曲第2番『賛歌』 沼尻竜典&大阪センチュリー交響楽団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、他
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3885083
について、今年5月13日にこの演奏を実際に生でお聴きになった小石さんが、「生涯忘れられないほど強烈な感動を残した」「管弦楽、合唱のすべてが、渾然一体となった、この作品のまさに最高水準の演奏」などと、レコ芸月評(11月号 94ページ)で褒めておられ、嬉しかったばかりだったので・・・。
その、大阪センチュリー交響楽団の、首席コントラバス奏者、奥田一夫さん(57)も、登山道でマウンテンバイクの事故により、去る9月17日にお亡くなりになっています。
http://homepage.mac.com/yossie7/iblog/C1412556538/E20100914004527/index.html
>たとえ燃え尽きたとしても己の本能、あるいは自身の感性に正直に生きるべきだと再確認した。
同感です。
人の一生とは、何て儚いものなんでしょう。
だから、月並みな言葉ですが、一日一日を大切に、一生懸命、悔いのないように生きていきたいものですね。リリ・ブーランジェに習って・・・。

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雅之

奥田一夫さんのご逝去の日付を誤記いたしました。正しくは9月12日でした。お詫びいたします。
奥田さんのブログの最終ページの日付は、ちょうど私が岡本さんと名古屋の宗次ホールでお会いした、9月10日なんですよね・・・。私は知らなかったのですが、あの日奥田さんは、音楽ファンのための「レクチャーコンサート」を開催されていたんです。
http://prostfamil.exblog.jp/15101758/
何だか胸が一杯になりました。
http://coo1989.exblog.jp/14606031/
ウィーン・フィル団員のコントラバス奏者、ゲオルク・シュトラッカさんといい、奥田さんといい、人の運命はわからないものです。
悔いのないよう、また今週も全力で働きます!!

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>やけに訃報が続きます。
そうですね、グレツキ氏についても小石氏についても僕も驚きました。特に小石さんは直近レコ芸の批評にも執筆されておられるくらいですから尚更です。
大阪センチュリーの奥田さんについても、ブログが残されている分より一層悲しみが強調されますよね。
確かに最後の更新が宗次ホールでお会いしたあの日とは!!
>人の運命はわからないものです。
悔いのないよう、また今週も全力で働きます!!
同じく僕も頑張ります!

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やいっあん

医学の進歩に感謝しています 切開手術もせずに内視鏡で胆嚢ともに4個の石を出してもらって 今日はもう朝から食事が出てきました 夕食はばあちゃんぺろりと食べて元気です 家に帰らなくてもインターネットがこうして病院でできるのですから 医大の設備も至れり尽くせり 医療の技術も心と接遇も最高 後期高齢者もここでコメントできるのですからたいしたものです まもなく3.4日くらいで退院だと思います よい時代だからこそ楽しく生きたいと思います 先ほど まーのの日記もパパキッチンも読みました 自分のブログは家に帰ってからゆっくり書きます ところで 検索で愛知とし子はポンと出たが岡本浩和は出てきません とし子はえらいなぁ ニコニコ

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岡本 浩和

>お父さん
良かった、良かった。とし子も心配してましたが、ともかく安心しました。
>検索で愛知とし子はポンと出たが岡本浩和は出てきません
そんなことないよ!YahooでもGoogleでも「岡本浩和」と入れれば全部のサイトがヒットするけどなぁ・・・。何かの間違いでは?

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