デュトワ指揮モントリオール響のピアソラ「天使のミロンガ」(2000.10録音)ほかを聴いて思ふ

心臓発作で倒れたアストル・ピアソラは、1974年、ヨーロッパへの移住を決意する。

よく考えてみると、かなり激しいいくつかの状況は、しばしば私自身が原因となっていることがわかった。もちろん、私がそうなるだけの動機はあった。他人が私を激しやすいというが、私の立場になってもらいたい。私はいつも非常に批判されてきた。それもマスコミだけでなく、もっと直接にだ。例えば、道を歩いていると、“頭がいかれている”とか“タンゴ殺し”とか、もっとひどいことを言われるが、これを落ち着いて受けとめるというのは無理だ。いずれにしても、私の特徴といわれる怒りっぽさと攻撃的なところは、50%は減少したはずだ。
斎藤充正著「アストル・ピアソラ闘うタンゴ」(青土社)P336

性格はかなり激しいのだろうと思う。
しかし、彼は自らの個性を失うことはなかった。他人が何と言おうと自らの道を守り通したのだ。

しかし私は闘争精神は失っていない。私は新しいピアソラであり、精神的・個人的な面で変革したばかりでなく、これまでとまったく異なる何ものかを持ってステージに帰って行こうとしている。
~同上書P336

時が流れて、ピアソラは永遠になった。

ところで、シャルル・デュトワは、闘争精神を失ってしまったのだろうか。
彼も至極革新的な人だった。「闘う心」が常にあった人だ。

アストル・ピアソラ:
・アディオス・ノニーノ(1959)(2000.10.18録音)
・天使のミロンガ(1965)(2000.10.18録音)
・バンドネオンとギターのための二重協奏曲(1957)(2000.10.18録音)
・オブリヴィオン(忘却)(1982)(2000.10.18録音)
・3つのブエノスアイレス・タンゴ風楽章(2000.5.18録音)
・ダンサ・クリオージャ(1950)(2000.10.18録音)
・タンガーソ(1968-69)(2000.5.18録音)
ダニエル・ビネッリ(バンドネオン)
エドゥアルド・イサーク(ギター)
ルイス・ペレリン(オーボエ)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

邪道といえば邪道だが、思った以上に原曲が映えるのである。亡き父に捧げた名曲「アディオス・ノニーノ」が美しい。ここにあるのはデュトワらしい洗練とビネッリのバンドネオンの哀愁。「天使のミロンガ」も不思議と心に迫る。

だがある日、彼女(ナディア・ブーランジェ)はピアソラに対して、あなたの作品はよく書けてはいるけれど、心がこもっていないと告げる。アストル・ピアソラは一体どこにいるの?あなたは自分の国では何を弾いていたの?まさかピアノではないでしょう。思い悩んだ揚句、ピアソラはそれまでの経歴を語った。それではあなたの音楽を、あなたのタンゴを聴かせて頂戴と女史から促されたピアソラは、渋々ピアノに向かい「勝利」を弾いた。聴き終わった女史は目を輝かせ、ピアソラにこう言った。
「素晴らしいわ。これこそ本物のピアソラの音楽ね。あなたは決してそれを捨ててはいけないのよ」
ピアソラの本分はタンゴにあり。ブーランジェ女史のこの一言が、ピアソラのその後の歴史を決定づけたといっても過言ではないだろう。タンゴを愛し、故に憎んでもきたピアソラだったが、音楽家アストル・ピアソラとしての存在意義はタンゴと切り離しては考えられないことを悟った彼は、ブーランジェ女史の厳しいレッスンをこなしながらも、新たな創作意欲に駆られていった。
~同上書P151

クラシック音楽の形式を模倣した繊細な二重協奏曲の啓蒙。ここにはナディア・ブーランジェの精神が生きる。極めつけは「タンガーソ」。たぶんデュトワ指揮モントリオール響の力量もあろう、胸を締め付ける哀しみが横溢する。果たしてこの音調はどこかで聴いたことのあるものだ、残念ながら今すぐに思い出せないのだが。

 

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