インバル&都響のショスタコーヴィチ!

時空を超えるなんていう言葉を使うのはもうやめようと思ったくらい今夜のショスタコーヴィチには痺れた。音楽が時間と空間の芸術であるということをあらためて体感させていただけたコンサート。オペラシティ・コンサートホールの2000人足らずの聴衆のひとりとして「わかっていながら」感動した、その真実の裏にはやっぱり音楽を享受するにあたって「現在&この場所で」というファクターがとても大きいように思った。
ショスタコーヴィチが体制に迎合しながら書き上げた第5交響曲は、玄人筋にはともすると飽きやすい、内容の薄い作品だと蔑まれがちだが、1回限りの音楽体験に限定するならば、これほど聴衆を感動の坩堝に巻き込む作品はそうそうないのでは・・・、真にライブに相応しい傑作だと思うのである。作品に内在する作曲家が隠した真の意味がどうだとか、二枚舌的作品の最たるものだとか、そんなことはどうでもよくなる、それくらいに今度も感動してしまった。ショスタコーヴィチは天才である。

都響スペシャル
2011年12月14日(火)19:00開演 東京オペラシティ・コンサートホール
指揮/エリアフ・インバル
チェロ/ガブリエル・リプキン
コンサートマスター/矢部達哉

・ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番作品126
アンコール~J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV1009~ブーレ
休憩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47

奇しくもこの3月にサントリーホールで聴いた札響の東京公演と同内容のコンテンツ。震災前のあのときのコンサートも相当感動したショスタコだったが、完全に色褪せてしまった。ちょうど1年前にデュトワ&N響で聴いた第8交響曲ですらぶっ飛ばすほどの重量級、重戦車並みの都響の威力!!そしてそれをいとも容易くドライブするインバルの力量。いや、素晴らしかった。

前半のチェロ協奏曲は実に室内楽的雰囲気に満ちた演奏。この作品が作曲された1966年当時、ショスタコーヴィチは度重なる病に悩まされ、体力的にも相当限界状態にあったようだが、いきなりチェロ独奏から入るこの音楽も、終始諦念と哀感、儚さに溢れている。第2楽章のいかにもショスタコーヴィチという「皮肉的」明るさがかえって「暗さ」を浮き彫りにするが、それも束の間、第3楽章のファンファーレですべてが爆発し、最後は意味深に音楽が消えてゆく。うーん、良かった。本当に良かった。今夜の目的はどちらかというとこちらだったので、もうこれで十分と思った矢先、熱烈な拍手が止んで、バッハの調べが・・・。無伴奏チェロ組曲第3番からブーレ。
限りなく透明なチェロ一本による数分の儀式。嗚呼、素敵。

20分の休憩を挟み、一応メインプロの第5シンフォニー。もうこの音楽は聴き飽きたくらいに聴いた。実演でも何度も聴いた。それでも、結局金縛りに遭うくらい感動させてくれる社会主義リアリズム的最高峰。さぞかしスターリンもぶっ飛んだだろう、喜んだだろう、作曲者を褒め称えたであろう、わかっているのについつい身震いするような傑作。
繰り返すが、今夜もやっぱり凄かった。特に打楽器群の猛烈なアタックと金管群の底知れない咆哮が際立つ見事な演奏だった・・・。ショスタコーヴィチ万歳!!

ショスタコーヴィチの音楽は何だかマイルスのそれに似ているのでは、とここまで書いてふと思った。どこが?・・・って。終わった途端に「寂しさ」と「静けさ」を感じるところ・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

よかったでしょうねえ!!

そうです、ショスタコはナマ体験が絶対に必要なのです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>ショスタコはナマ体験が絶対に必要なのです。

まったくです!
Vn協奏曲第1番&第12番シンフォニーが聴けないのが痛恨です。

返信する

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