ヴェーベルンの歌曲集を聴いて思うこと

アントン・ヴェーベルンの作品は、ひとつひとつが極めて短い。
彼が生涯で書き上げた楽曲は決して多くないゆえ、CDにしても6枚ほどで全ての作品が収録できる。時間に余裕のある時にでも、すべてを作品番号順(番号なしを含めると作曲順)に聴いてみてほしい。作風の変化が如実に体感でき、しかも無調の音楽でもどういうわけか「わかりにくくない(とはいえ、簡単に理解が及ぶということではないが)」ところが良い。新ウィーン楽派と呼ばれる作曲家の中でも一番にお薦めできる音楽家だと僕は思う。

ちなみに、僕の手元にはブーレーズがベルリン・フィルと録音した管弦楽曲集などを中心に全楽曲が収められたグラモフォンのヴェーベルン全集(6枚組)がある。ためしに今日は4枚目の「歌曲集」を聴いてみた。ロマンティックで退廃的な(それでも後のヴェーベルンらしい個性が既に光る)10代の頃の作品(これらは信じられないほどの美しさを持つ)からいよいよ無調の世界に足を踏み入れ、試行錯誤の跡濃い中期の作品、そしてヴェーベルン独自の世界が現出する後期の作品と一望できる。1時間20分の一大絵巻。マーラーを追ったヴェーベルンの中に革新の種はごく若い時分からあったことがよくわかる。

そういえば人間の性質というのは年をとってもそれほど変わらないもの。もちろん経験による知識量の増大がその後の生き方に影響を及ぼすということは大いにあるが、根本的なスタンスというのはある意味生まれ持ったものだと僕は考える。よって、音楽の場合もヴェーベルンに限らずその作品を評価する時、若書き、あるいは作品番号の若い作品を聴いて判断するのも一興だと考えるのだ。ベートーヴェンなど第1交響曲に既にいわゆる古典派にはない冒険があるし、シューベルトの栄えある作品1の「魔王」なんてのは恐ろしいまでの音楽だし、ベルリオーズの「幻想」、シューマンの「シンフォニック・エチュード」、・・・などなど、いずれも大いなるチャレンジが見られる。後の大作曲家と言われる人たちの作品でもそのあたりは変わらない。

ヴェーベルン:
・3つの歌曲(1899-1903)
・初期の8つの歌曲(1901-04)
・フェルディナント・アヴェナリウスの詩による3つの歌曲(1903-04)
・リヒャルト・デーメルの詩による5つの歌曲(1906-08)
・シュテファン・ゲオルゲの「第7の環」による5つの歌曲作品3(1907-09)
・シュテファン・ゲオルゲの詩による5つの歌曲作品4(1908-09)
・シュテファン・ゲオルゲの詩による4つの歌曲(1908-09)
・4つの歌曲作品12(1915-17)
・ヒルデガルト・ヨーネの「道なき道」による3つの歌曲作品23(1933-34)
・ヒルデガルト・ヨーネの詩による3つの歌曲作品25(1934-35)
クリスティアーネ・エルゼ(ソプラノ)
エリック・シュナイダー(ピアノ)

凝縮の度合いが半端でない。不要なものの一切を捨て、核の部分だけを捉えて音化する。
シューベルトが確立したドイツ・リートの分野は、その後シューマン、ブラームスへと引き継がれ、一旦ヴォルフのところで頂点を迎える。しかししかし、忘れてはならないのはアントン・ヴェーベルンの存在。彼がグスタフ・マーラーの影響下にあったことは有名だが、過剰で人間っぽいマーラーよりは僕はヴェーベルンのこの研ぎ澄まされた「小宇宙」に賛辞を贈る。

初期の8つの歌曲(1901-04)
ヒルデガルト・ヨーネの詩による3つの歌曲作品25(1934-35)

ピアノが単なる伴奏でなく、歌と完全に対等で、真にひとつになっているところが驚異。
もしもヴェーベルンが米兵の誤射で突然命を絶たれることがなかったら、その後の音楽史はどうなっていたのだろう?興味深い・・・。


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