ヴァント指揮北ドイツ放送響 ブラームス 交響曲第4番(1997.12Live)

ギュンター・ヴァントの最後の来日公演は本当に凄まじかった。
あの日、言葉にならない緊張感が僕の身体を襲い、心に迫った。おそらくそれは、当日会場にいた誰しもの内側で起こっていたことではなかったか。コンサートが始まる前から敬虔な儀式に臨むかのような、息をのむ静寂に包まれ、終演後の猛烈な歓喜の爆発に僕はもう思い残すことはないと思ったくらい。

最晩年のギュンター・ヴァントの解釈は、脱力の極みであり、颯爽として、同時に自然体の風趣を失わない、逸品だった。僕は生涯決して忘れることはないだろう。

たぶんあれは最後の光輝だったのか、それからわずか1年3ヶ月で老巨匠は逝ってしまった。亡くなって早18年が経過する。

彼の音楽は律儀だ。
堅牢な鎧に包まれた、たった一度きりの、そして他の追随を許さない、普遍的な音楽だと言い換えても良い。何よりどの瞬間も気力が漲り、若々しい。

・ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団(1997.12.7-9Live)

老練の涸れた味わいを醸す一方で、内側で燃える情熱的な演奏だ。
実演に触れていたなら、火傷をしていたのではないかと思わせるほど熱い。そして、一切弛緩のない、終楽章コーダの最終和音まで集中力の途切れない名演奏だと断言できる。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポの主題から何という生命力に満ちるのだろう。また、第2楽章アンダンテ・モデラートの愁いと悲哀をこれほどまでに柔らかく、そして自然にかつ直接的に表現されたケースがあるのかと思わせるほど。そして、第3楽章アレグロ・ジョコーソも立派だが、白眉は終楽章アレグロ・エネルギーコ・エ・パッショナート!!!主題と30の変奏及びコーダによって構成されるいわゆるシャコンヌがここぞとばかりにうねる。まるで生き物のように。

あと50年もすれば、我々が住んでいる今の時代はドイツの歴史の中でも最も馬鹿げた時代として考えられるのではないでしょうか。何一つまともなものがないからです。一人残らず絶えず移り変わる流行を追いかけて、王様の新しい着物に目を奪われている。王様が裸だということに誰も気が付かない。これは政治の世界だけでなく文化についてもそうです。そしてこれは常に真実でないとわかっているものに大騒ぎをする偽りの態度に結びついています。
(1996年2月22日「シュテルン」誌のインタビュー)

ドイツだけではない。日本だってそう、否、世界中が浅薄なものに堕落する時代にあって、ヴァントは最後まで真実を追い求めた人なのだと思う。
それゆえに、彼には妥協がない。

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