ヴァント指揮バンベルク響 ブルックナー 交響曲第9番(1995.7Live)

オペラシティコンサートホールで聴いた、ギュンター・ヴァントの最後の来日公演のことはおそらく一生忘れないだろう。老練の、いぶし銀のような、それでいて力強く、また自然体のブルックナーに酔い痴れた1時間は、生涯たった1度きりの至高の体験だった。

あの、未完成であるがゆえの完成度というのか、最晩年のブルックナーが愛する神に捧げた人間業とは思えぬ音楽が、完璧な状態で鳴り響いた空間は、それこそ呼吸さえ許されない暗い緊張度の高いものだった。

ブルックナーは、1887年から96年にかけての年月を、この交響曲の完成にあてたとき、自分が何をしているか、はっきり意識していた。つまり彼は、ここで生涯の創造の集大成的決算をしていると同時に、これまでのものをさらに昇華させてさらに高い新しい世界へ突入すべき作品を書いていると考えていた。
(吉田秀和「ブルックナー『第九交響曲』」)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P130

他の作品の改訂作業に時間をとられる中、ブルックナーはこの交響曲が最後になるとわかっていたはずだ。ただし、未完に終わるとは思ってもみなかったのかもしれない。

新しさは和声に限らない。第1楽章では展開と再現が一つになって組みあわされているので、とかく、部分部分が巨大なトルソとして、離ればなれに存在することになりやすかった、これまでの弱点が、新しい形をとることによって解決された。
~同上書P132

確かに楽想がいちいち分断されたような、かつての作品の趣向は確実に進化していると思われる。

次のスケルツォは、ブルックナーの最も霊感にみちた音楽の一つになる。ここでは彼独特のあの田舎っぽい跳ね方と、まるで妖精のような純潔な軽妙さとが一つになるという、まるで夢のようなことが起こるのだ。
~同上書P132

スケルツォにまつわる吉田さんの表現に僕は膝を打つ。
そして、これまで聴いた数多の演奏の中で、まさにそういう表現に相応しいのがヴァントの演奏なのである。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
ギュンター・ヴァント指揮バンベルク交響楽団(1995.7Live)

かの来日より5年前の、バンベルク交響楽団との白熱の演奏(初発売)。
音楽は静かにうねり、聴衆の耳を虜にする。白眉は終楽章。

ブルックナー自身は、この楽章の出来栄えに完全に満足すると同時に、これを「わが人生への告別」と呼んだといわれる。そのためか、この楽章の終結にいたって、作曲家はこれまで自分の果たした仕事をつぎつぎと引用する。これはベートーヴェンが第九交響曲の終楽章で前出の楽章を引用した故事をふまえているのだろうか? ミサからは「ミゼレーレ」を引用。ついで第七交響曲のアダージョ、それから第八交響曲の同じ緩徐楽章からの引用もつぎつぎと顔を出す。
~同上書P132

職人ヴァントの指揮はどこまでも透明だ。
そして、そこには偉大なる意志が宿っている。文字通り、この世界との別離を予言しての後半部の、何よりコーダの筆舌に尽くし難い消えゆくような崇高さが、これ以上の何ものも必要としないことを物語る。

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