フルトヴェングラーに比してトスカニーニの「悲愴」は、幾分現代的なセンスを感じさせる演奏だ。フルトヴェングラーのそれよりも外面は明るい。そして、旋律は流麗でありながら決して軽くなく、実に重みをもつ。
アメリカではメディアと音楽の関係を先取りした。1920年から黎明期のレコード録音に関わり、ニューヨーク・フィル時代には演奏会のラジオ中継を経験し、そして、1937年にアメリカ初の放送交響楽団であるNBC交響楽団のシェフとなった。NBC響時代には、ラジオ放送とレコード録音とが一体化し、ついにはテレビ中継まで体験することとなった。トスカニーニは、本人が好もうが好むまいが、カラヤンやバーンスタインよりもずっと早い時期に、レコード、ラジオ、テレビなどのメディアによって総合的に取り上げられていた。アルトゥーロ・トスカニーニは、ラジオやテレビの放送を通じて大衆がその演奏を同時体験し、マス・メディアによって大きな社会現象となった史上最初の指揮者だったのである。
~山田治生著「トスカニーニ―大指揮者の生涯とその時代」(アルファベータ)P291-292
アメリカでのトスカニーニの人気は絶大だったという。
この「悲愴」もカーネギーホールでのおそらく放送録音だと思うが、聴けば聴くほどその音楽の深みと熱気が肌で感じられ、やはり古いモノーラル録音であるがゆえの勢いと力強さが手に取るようにわかり興味深い。なるほどトスカニーニはホールの聴衆だけでなく、その先の、ラジオやテレビの前に鎮座する人々をも意識して音楽を創り出していたのかもしれない。その意味で、20世紀前半にあってトスカニーニはメディアを駆使し、その恩恵に与った稀代の指揮者だったといえる。
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団(1947.11.24録音)
1941年の実況録音に比して少々大人しい気がしないでもない。しかし、第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの荒々しい進軍はもとより、終楽章アダージョ・ラメントーソの沈潜する嘆きの歌を聴けば、トスカニーニがいかほど音楽に没入していたのかがよくわかる。何にせよトスカニーニはチャイコフスキーに感応しているのだ。
しかしながら、さらに素晴らしいのが「くるみ割り人形」組曲!!
・チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」組曲作品71a
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団(1951.11.19録音)
音楽が進むにつれ、ついに火を噴くトスカニーニの棒。恐るべきは、第4曲「トレパック」の終結に向けての強烈な推進力。これを聴かずして「くるみ割り人形」を語るなかれと言いたくなるくらい。
それにしてもこの時代の録音技術の進歩には目を瞠るものがある。40年代後半の「悲愴」と50年代初頭の「くるみ割り人形」にはわずか4年ほどの差しかないが、音の鮮明さ、拡がりなど比べ物にならないほどの差が感じられるのがまた興味深い。