パレナン四重奏団のフォーレを聴いて涙する

faure_parrenin_q_collard聴覚を失った老作曲家は、最後の作品でついにベートーヴェンに追いついたのだろうか。
第1楽章冒頭ヴィオラからチェロ、そして第2ヴァイオリン、さらに第1ヴァイオリンへと引き継がれる優しくも崇高な主題を聴いて、ベートーヴェンの作品131を想った。
作品の推敲もままならないうち、2ヶ月ほど後にガブリエル・フォーレは79年の生涯を閉じる。フォーレの病床でのアッセルマン夫人への口述が痛々しく、哀しい。

ロジェ=デュカスに、時間がなかったために記せなかった速度、ニュアンス、及びその他の記号を書き加えてくれるよう頼んでください・・・。私はこの「弦楽四重奏曲」が、いつも最初の演奏を聴いてくれるデュカ、プジョー、ラロ、ベレーグ、ラルマン等の幾人かの友人たちの前で試演された後に、出版、演奏されることを望みます。私は彼らの判断を信頼しているとともに、この「四重奏曲」が刊行されるべきか破棄されるべきかの決断も彼らに委ねます・・・。はじめの2つの楽章は、表情豊かで一貫して変わらぬ様式に基づいています。そして3つ目のものは、私の「ピアノ三重奏曲」の終曲を思わせるような、スケルツォ風の軽快で楽しい曲調を持たねばなりません。
ジャン=ミシェル・ネクトゥー著大谷千正編訳「ガブリエル・フォーレ」P244

実際のところ4つ目の楽章を作曲する意志もなくはなかったようだが、この音楽は完成された3つで十分だ。

この四重奏曲は、私の三重奏曲のように、3楽章のものとなるだろう。しかし一般公開を急いでいないから、4番目の楽章を入れるかもしれない。だがその決心はまだついていない。大事なのは今のままでも十分だということだ。
1924年9月9日付、フォーレの手紙
~ライナーノーツ

フォーレ:
・弦楽四重奏曲ホ短調作品121
・ピアノ三重奏曲ニ短調作品120
パレナン四重奏団
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
フレデリック・ロデオン(チェロ)(1975-1978録音)

ベートーヴェンの衣鉢を継ぐ20世紀四重奏曲の最高峰はショスタコーヴィチとバルトークであることに異論はない。しかし、ショスタコーヴィチがもたないウェットな透明感、そしてバルトークにないアンニュイな情緒性という点を評価し、フォーレのこの作品に指を折っても良いのでは?フォーレの最後の作品がもっとステージにかけられることを祈るばかり。
ちなみに、パレナン四重奏団の演奏は、集中力が途切れることなく、どの瞬間も中庸で老フォーレの思考を見事に体現、堂に入り、愛に満ちる。

ところで、フォーレの場合、ピアノが入ると水を得た魚のように音楽が一際煌びやかになる。もちろんそれはピアノという楽器の性質にもよろうが、彼自身がピアノによって思考し、ピアノによってイマジネーションを喚起されていたということなのか・・・。
三重奏曲は、深い呼吸で息の長い第2楽章アンダンティーノが絶品。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

フォーレとマリー夫人との結婚生活は、幸せなものではありませんでした。マリー夫人はフォーレの名声が高まるにつれ、嫉妬深くなったようです。そのため、エンマ・バルダック夫人との間に娘エレーヌを儲けました。ピアノのための「ドリー組曲」はエレーヌのために作曲されたものの、フォーレの子であることは生涯秘密にされました。
後に、ドビュッシーがエンマと駆け落ちして結婚した折、フォーレとの娘エレーヌがいて、エレーヌも自分の娘クロード・エンマとともに育てたそうです。そのためか、フォーレとドビュッシーは仲が悪かったようです。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
音楽家の恋愛含めた人間模様というのは実に興味深いですね。
音楽にも何らかの影響はあるのかもしれません。

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