バルビローリ指揮ハレ管のシベリウス交響曲第2番を聴いて思ふ

sibelius_2_3_barbirolli_halle088ジャン・シベリウスの性質は、もっと抑圧的で内向的なものだと思っていたから、ジョン・バルビローリのこの濃厚であまりに浪漫的な解釈に初めて触れた時はどうにも違和感があった。第2交響曲第1楽章アレグレット冒頭の、弦による序のモティーフですら実に意味ありげで、続いて現れる木管による第1主題もホルンの応答共々とろけるような密度の濃さ。第2主題背後の弦はうねり、木管は哀しげな旋律をしのばせる。第2楽章テンポ・アンダンテ、マ・ルバートのファゴットによる第1主題に心動かされ、民謡調の第2主題に愉悦を感じた。本当はもっと透明な、決して感情的でないシベリウスが理想だった。

シベリウスは自己批判精神の塊だった。マッティ・フットゥネン著「シベリウス―写真でたどる生涯」をひもといた。若い頃のエピソードから彼の、ブラームスにも似た内燃するエロスのエネルギーが見事に読み取れる。

アイノはジャンのヴァイオリンの伴奏をしたが、それでもジャンはまだ想いを打ち明ける勇気がなかった。
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夏が過ぎてアイノがヘルシンキに戻ったとき、シベリウスはようやく自分の内気さに克つことが出来た。音楽院のコンサートのあとで、彼はアイノを家まで送りたいと申し出、その家の門の前でもはや熱い想いを抑えることが出来ずに、彼の心を吐露して結婚の許しを乞うた。
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実際には、経過はどうあれ意中の人をものにしているわけだからシベリウスは単に「自己肯定感」の低い人だったとみる。しかし、その自らへの厳格さが数々の類稀なる傑作を生み出す原動力となった。

ヤーネフェルト将軍の娘との恋に陥ったシベリウスには劣等感が芽生え、増大していった。彼の性格からくる謙虚さは彼を苦しめた。ヤーネフェルト一家が彼の才能を非常に高く評価していたことを知りながら、自分が育った家の貧しさは彼を苦しめ、洗練されたヘルシンキの上流家庭に不釣り合いな自分を感じていた。
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シベリウスには自分自身を卑下しなければならない理由がもうひとつあったことは興味深い。それは、ヤーネフェルト家の人々はフィン語を強く支持していたので、スウェーデン語のほうがずっと堪能であったシベリウスにとって、アイノに対してはフィン語で手紙を書かなければならなかったからである。
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やはり幼少からの刷り込みというものは、その人の生き様というものを大きく左右する。ただし、「劣等感」で何であれその経験が不要なものかと言えばそうでないこともシベリウスのその後の人生を顧みればよくわかること。抑圧とその解放と。何という音のドラマ。交響曲作曲家としてのベートーヴェンの衣鉢を継ぐのはまさにシベリウスだった。

シベリウス:
・交響曲第2番ニ長調作品43(1966.7.25-26録音)
・交響曲第3番ハ長調作品52(1969.5.27-28録音)
サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団

それにしても終楽章アレグロ・モデラートの素晴らしさ!弦による第1主題が決して全開モードにならず、抑制された響きを保つ中、トランペットの咆哮が耳をつんざく。しかしそれは決して煩わしい音ではない。何というカタルシス!!音楽は終始丁寧に奏でられ、展開部の執拗さはこれまたシベリウスの性質をそのままなぞるよう。何という粘着性!!
再現部以降の、弦楽器も木管も金管も、全ての楽器が渾然一体となって輝くシーンはシベリウスの、そしてバルビローリの真骨頂。

時を経て思うのは、音楽の解釈は様々で、受け取り方もその人の感性次第でいろいろだということ。第3交響曲の遅めのテンポで堂々たる歩みにシベリウスの内なる自信と確信を発見する。実に明朗な、そして脂の乗ったバルビローリの解釈はこれでこそシベリウスと思わせるもの。本当に素晴らしい。白眉は第2楽章アンダンテ・コン・モート、クワジ・アレグレットであり、メイン主題の静かで軽やかな響きに得も言われぬ恍惚感を覚える。

 

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