新田ユリ指揮アイノラ交響楽団のシベリウス「クッレルヴォ交響曲」

ainola_kullervo_20150303133フィンランドの英雄譚「カレワラ」については、その歴史的背景、思想的背景、文化的背景など諸相を知った上でないと理解はなかなか難しい。ジャン・シベリウスが祖国への愛を示すために生み出した、特に初期の諸作についてはそういうものが前提にあるゆえ(極東の僕たちには)一筋縄ではいかないように僕は思う。
とはいえ、滅多に演奏されないであろう「クッレルヴォ交響曲」の実演が聴けたのは大きな収穫。実際に録音で聴くよりはシベリウスの圧倒的祖国愛の反映があることを確認できたし、壮年期以降の熟練の作品に比較し、技術的に稚拙な箇所が散見されるものの、逆に若々しい、そして瑞々しい音調に溢れていることが身に染みてわかったことが何より。
さすがに音楽の冗長さは否めないけれど・・・。

それにしてもアイノラ交響楽団の、相変わらずのシベリウスへの尊崇に舌を巻く。

日本シベリウス協会主催シベリウス生誕150年シリーズ
2015年3月3日(火)19:10開演
すみだトリフォニーホール大ホール
駒ヶ嶺ゆかり(メゾソプラノ)
末吉利行(バリトン)
フィンランディア男声合唱団ラウル・ミエヘト
お江戸コラリアーず
マッティ・ヒュヨッキ(合唱指揮)
新田ユリ指揮アイノラ交響楽団
・クッレルヴォ交響曲作品7
・フィンランディア作品26-7
~アンコール
・無伴奏男声合唱曲「ラカスタヴァ(恋する人)」(マッティ・ヒュヨッキ指揮)

18時40分から始まった、マッティ・ヒュヨッキ氏と松原千振氏によるプレトークは30分近くにも及ぶ。英雄譚のこと、シベリウスのこと、そして「クッレルヴォ」にまつわる話など。

メイン・プロの「クッレルヴォ」。管弦楽のみによる第1楽章「序奏」と第2楽章「クッレルヴォの青春」は、いかにも26歳のシベリウスの勇猛な正義感と、楽曲が進むにつれ熱を帯びる前進性に感極まる。特に第1楽章の、静けさを伴う心情描写の後のコーダの爆発と燻るような音色に心動く。第2楽章は、悲痛な音調の主題で幕を開け、その後のクッレルヴォの挑戦的な旅を表わすような、金管群によるテーマに釘付けになる。
そして、いよいよ男声合唱の登場となる第3楽章「クッレルヴォと妹」は、この交響曲のクライマックスであり、今回の公演においても最も熱の入った楽章だった。一旦合唱が静まり、管弦楽による間奏の重厚さと生々しさ、そして金管群の咆哮に僕は思わずひれ伏した。さらには、休止の後の、末吉利行歌うクッレルヴォの壮絶な叫びに背筋が凍る思いだった。生とは、ある意味牢獄であり、不幸なものだと彼は嘆く。

ああ我が尊い両親よ!
どこへ俺を生んだのか、
不幸な者をいずこへ導いた?
俺はずっとよかったろうに
生れもせず、育ちもせず、
出生することがなかったら、
この世に年を経なかったら。
死は適切に処置しなかった、
病は正しくやらなかった。
小泉保訳「カレワラ」(岩波文庫)

第4楽章「戦いに向かうクッレルヴォ」の、いかにもシベリウスらしい民族色豊かな旋律に、シベリウス好きの魂が揺さぶられる。そして、終楽章「クッレルヴォの死」におけるオーケストラの集中力に感服。全休止の後の、クッレルヴォの自刃を歌う男声合唱の強烈な雄叫びこそ今夜の白眉。恐るべきかな。
続く「フィンランディア」は男声合唱付きバージョン。こちらも気合いの入った、そして指揮者、オーケストラ、合唱共々が渾身の力を振り絞って成し遂げた名演奏。合掌の箇所では思わず唸った。

ちなみに、アンコールはヒュヨッキ氏の指揮による「ラカスタヴァ」。これがまた崇高でありながら愛らしく人間味溢れる見事な一品だった。

アイノラ交響楽団の実演はこれで4回目。聴くたびごとに新田ユリさんのシベリウスへの果てしない尊敬と愛情が感じられる。そして、アイノラの演奏も年を追う毎に一層表現力が豊かになる。ジャン・シベリウス生誕150年の年に乾杯!

 

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