たくさんのピアニストたちがソロ・ピアノを演るけれども、彼らは単にリズム・セクションを外した感じで演っている。でも僕は、ひとりで弾く場合にはまったく新しいやり方を考えなくてはいけないと思っているんだ。僕のようにステージに上がって、何もないところからプレイする人間なんて、ひとりもいないと思うよ。
~キース・ジャレット
本人は大変な緊張状態の中にあるらしい。
それはそうだ。どんな聴衆に出逢えるのか、蓋を開けてみないとわからないのだから。ましてや自分自身の心身の調子がそのまま音楽を左右するのだろうから、何日も前から途轍もないストレスの中に晒されるのだろうと想像する。いや、意外に直前まで真っ白な状態でリラックス状態にあるのかもしれないし・・・。
あるいは、録音を聴く限りにおいて、この人は自身の内側と直接対峙し、音楽に埋没しているよう。ということは彼にとって聴衆はどんなだろうと関係ないのだと言えるか・・・。
それにしても各々のパフォーマンス終了後の聴衆の熱狂的反応は半端でない。聴く側は一種宗教的儀式に触れるかの如くの態勢で、そして世界でたった一つの奇蹟に出逢うことを期待し、コンサート会場に来場しているようだ。
1981年5月28日のオーストリア、ブレゲンツでのコンサートは異様に熱い。例によって懐かしくも美しい旋律で始まるパート1は実に静謐でありながら独特の節回しを持ち、いきなり聴衆を異次元世界に誘ってしまう。時間の経過とともにキースの唸り声を交え音楽はうねり、いつの間にか「舞踏」と化し、高揚してゆく。しかしそれも束の間、再び音楽は一層内省的になり、僕たちの心に静かに語りかけるのだ。
Keith Jarrett:Bregenz Concert(1981.5.28Live)
Personnel
Keith Jarrett (piano)
一転、パート2こそキース・ジャレットの本領発揮。
スタッカートを多用した、どこかショスタコーヴィチを髣髴とさせるその音楽にほとんどその場に居合わせるかのような錯覚に陥らされ、その音たちに恍惚と浸る。そのうちに曲調は七変化を遂げ・・・。何という音楽。10分ほどのめくるめくジャレット世界・・・。
キースが信奉するグルジェフのような、執拗に反復されるフレーズを持つ「名前のない」3曲目は「祈り」だ。それも「動的な」。そして、アンコールのように奏される、ラストが「ハートランド」。奇声を発しての何という「歌」!!!何という「愛」!!!
ピーター・リュエディがいみじくも書く次の言葉にキース・ジャレットのすべてが表現される。言い得て妙。
ジャレットの芸術は、瞬間の芸術だ。それは今ここで起こるもので、繰り返すことができないものだ。
~ライナーノーツより