朝比奈隆指揮ホノルル響のブルックナー交響曲第4番(1985.3.12Live)を聴いて思ふ

bruckner_4_asahina_honolulu_19854681985年3月12日火曜日、ホノルル。交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」。
朝比奈隆が決して好調ではなかったであろう時代の記録。
しかし、その日の演奏は実に動的で、ブルックナーの生気溢れる楽想を見事に描き切る。
何ともこのマイナーなオーケストラからこんな音楽を生み出せたものだと感心する。

ちなみに、6週間後の4月23日火曜日、僕は上野の文化会館で交響曲第8番ハ短調を聴いた(東京フィルハーモニー交響楽団第265回定期演奏会)。あの日の演奏で印象的だったのは、終楽章終結の猛烈なアッチェレランド。予想だにしないスピードでいかにもあっけなく終わる最後に、隣に座っていた見知らぬ人と顔を見合わせ驚いたことが昨日のことのよう。

それにしても音楽は隅から隅まで朝比奈隆のものだ。
その10年ほど前(朝日新聞1974年10月18日)の「ブルックナーのこと」と題するエッセー。

やがて新しい時代が来た。死後幾十年かたって彼の遺言状のようなものが見つかった。それには自分の第8交響曲は原稿のままで演奏してほしい、と書いてあった。多くの優れた文献学者が熱心に彼の草稿を検討し、出版する仕事にとりかかった。優れた指揮者たちが虚心にその楽譜に取り組み始めた。
森の中で眠り続けた王女のように、音楽は蘇り鳴り響いた。音への愛と誠実が、鎖を解き放ったのだ。今、私たちは一つ一つの音に心を込めて珠をめでるように演奏する。そして幾千、幾万の聴衆の魂が、それに共鳴、唱和するのである。
「朝比奈隆回想録―楽は堂に満ちて」(音楽之友社)P178-179

文字通り魂の共鳴。真に心のこもった演奏は聴衆の心を打つ。

朝比奈会限定頒布レコードVol.3
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
朝比奈隆指揮ホノルル交響楽団(1985.3.12Live)

第1楽章からいかにも人間っぽい金管群の咆哮。改訂版のようなうねりとドライヴ感を示すが、音楽は堂々たるハース原典版。再現部の、木管による主題提示の儚さと対旋律の弦の美しさに北国を思う(そこは常夏ハワイであるというのに!)。
第2楽章もささやくような音楽運びのうちにふくよかな響きを持ち、おそらく当日ホノルル・コンサートホールにいた聴衆には相当な衝撃を与えたのではないかと思うほど美しい。
弾ける第3楽章スケルツォを経て、怒涛の終楽章。これほどテンションの高い、燃えに燃えた朝比奈隆のブルックナーは少ないのでは?
再現部直前の勇猛なティンパニ、そしてそれに応える金管の爆発力。対して、静けさと優しさに満ちる弦と木管の歌。音楽が見事に生きている。
そうして、コーダの圧倒的クレッシェンドへ・・・。

フルトベングラーが録音に当たって断じて一度しか演奏しなかったことは、いまでもベルリン・フィルハーモニーの語り草である。
雑音がはいっても、小さなミスがあっても、その気迫は圧倒的であるのは、オーケストラのただ一度の生命の燃焼によるものであろう。しかし、それには強い自信と権威とが必要である。私もこれからの残された時を、やり直しのない、一回限りの仕事を精いっぱい積み重ねることで埋めたいものである。
(「ただ一度の生命」日本経済新聞1970年7月8日)
~同上書P152-153

これこそ「やり直しのない、一回限りの仕事」!!
演奏は感動的なのだが、残念にも録音そのものは音揺れ含め決して良いとは言えない。鑑賞には十分耐えうるけれど。

 

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3 COMMENTS

雅之

完全なネタの使い回しです(笑)。

「自由とは、他者から嫌われることである」

「他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです」

岸見一郎 古賀史健 著 『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)P162~163より

↓ 昔、宇野さんにかぶれていたころ、散々軽蔑し小バカにしてた音盤のひとつ ↓

ブルックナー:交響曲第4番  オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3/dp/B00005G7QI/ref=sr_1_3?s=music&ie=UTF8&qid=1457442743&sr=1-3&keywords=%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

アドラー心理学を知った今の私なら、受け入れることができそうな気がしています。

1985年3月12日は、奇しくも名指揮者ユージン・オーマンディが亡くなった日でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3

ブルックナーや朝比奈先生のコアなファンが何と言おうと、いいじゃないか。

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岡本 浩和

>雅之様

他人の意見に左右されちゃいけませんね。
こと音楽に関しては自分の耳で確認するのが一番です。
それと、十人十色いろんな解釈があって当然で、良し悪しなんて誰にも決められません。
そう言う僕も宇野さんにかぶれていたので、オーマンディのブルックナーなど聴きもしておりませんでした。

>1985年3月12日は、奇しくも名指揮者ユージン・オーマンディが亡くなった日でした。

そうでしたか!それは何かのご縁。一度聴いてみようと思います。
ありがとうございます。

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