朝比奈隆指揮大阪フィルのブルックナー交響曲第7番(1975.10.12Live)【Altus】を聴いて思ふ

bruckner_7_asahina_19751012_altus501ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲第7番を初めて聴いたとき、吉田秀和さんはついうっかり居眠りをしたらしい。その吉田さんをして、後には次のように言わせるのだからブルックナーの音楽は本当に素晴らしい。

では、ブルックナーの何が、そんなによいのか?
音楽のクライマックスが緊張の絶頂であると同時に、大きな、底知れないほど深い解決のやすらぎでもあるということ。その点でまず、彼は比類のない音楽を書いた―と私は考える。
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P125

同感。
滔々と流れる大河の如く、音楽は冒頭から滑らかでまた柔らかい(何より意味深い)。
作曲者の悲哀や愉悦だけでなく、演奏者の意気込みまでもがはっきりと聴きとれる名演奏。
第1楽章アレグロ・モデラートのコーダにおける大宇宙の鳴動。ここは一音一音ゆっくりと歩を進める朝比奈隆の圧倒的解釈でなければ物足りぬ。また、25分に及ぶ第2楽章アダージョの頂点での解放は、おそらくその場に居合わせた聴衆の心を鷲づかみにし、涙さえ誘ったのではないか。第2主題の美しさは天下一品。
そして、第3楽章スケルツォの自信に満ちた透明感。さらには、終楽章の大らかさと安寧。ともするとスケールの小さい、窮屈な音楽に陥りがちのこの楽章が、長い残響を伴うマルモア・ザールの音響をもってして、祈りに満ちる天上の音楽として再生されるのである。

真正面から一度聴いた限りの印象を書く。
おそらく当日の、ありのままの音を刻印した記録として記憶に残るものになるだろう。
確かにダイレクト・リマスターにより明らかに音質は良くなった。しかし、残念ながらその分「粗」も明瞭になった。
第1楽章終了時にぱらぱらとこぼれた拍手も未編集で残され、終演後の圧倒的拍手喝采も6分以上収録され、その臨場感はかなりのもの。

ただし、複雑だ。
つい手を伸ばしてしまったが、果たしてこの演奏をあえて新規リリース盤で手に入れる必要があったのかと・・・。
思い出は、音とともにその時の場の空気感をも閉じ込めるもの。
35年前に初めてアナログ盤で聴いたあの時の感動は蘇ってこない。

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ハース版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1975.10.12Live)

いずれにせよ名演奏であることに違いはない。
1980年頃のインタビューで朝比奈隆は、聖フローリアンでの演奏を振り返り、次のように語っている。

またいい場所でしてね。バスで公道から自動車道路をまわって田舎道へ入り、丘を上がってお寺の屋根が見えるあたりに来たら、ガヤガヤいっていた若い楽員も静かになりましたからね。メッカ巡礼というか、善光寺参りというか、何かやっぱり敬虔な気持ちになったみたいですね。その前に、みんなでお墓も参拝しましたし。ブルックナーという人がここで生活してた、ここでオルガンを弾き作曲もしてたということは、我々演奏する者にとって、襟を正させるものがあった。オーケストラの連中にも、そのくらいの純粋さは残っていたようです。非常に神妙になりましてね、従ってそういう場合では演奏もよくできるはずです。ふつうの会場じゃなく、お寺ですしね、板を並べて段を作り、そこに粗末な椅子を置いてやった。
~同上書P150-151

奏者の皆が純粋に、そして神妙な思いで奏でた音楽なのだから素晴らしいに決まっているのだ。
終演後の歓喜を耳にして、音楽の凄さを痛感する。
朝比奈隆のブルックナーは何にせよ素晴らしい。

 

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2 COMMENTS

neoros2019

「思い出は、音とともにその時の場の空気感をも閉じ込めるもの」
痛切にそこを反芻する日々です
小学5年時、ほぼ半世紀前に受けた印象を復元することは、もはや如何なる手を尽くしても
不可能になりました
1995年だったか阿佐ヶ谷にあったタピオラというカラヤン好きのマスターが経営している
喫茶店で、あえてこの聖フローリアン盤を持ち込んで第1,2楽章を鳴らしてもらったことがあります
涼しげな店舗でコーヒーの香りに包まれながらわたしは一人陶酔していました
マスターはやっぱり朝比奈を理解するには至らず、わたしの心中は苦笑いでしかなかったものです
そんなわたしも、どういうわけか近頃カラヤン/VPO全盛のサロメ、トゥーランドット、蝶々夫人ばかり聴き惚れる時間が多いですね

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岡本 浩和

>neoros2019様

歳とともに、時代とともに人間の嗜好というのは変わりますよね。
進歩なのか退歩なのかはわかりませんが・・・。
でもだからこそ面白いのだと思います。
僕も今やカラヤンのプッチーニは愛聴盤になっております。

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