モーツァルトの思想の根底は性悪説だったのだろうか?
いや、モーツァルトは、世界のすべてが関係の中にあり、関係の質の向上こそが統合の鍵だと暗に伝えたかったのかもしれない。そしてそれには勇気こそ大いなる徳であると。
侍女デスピーナは言う。
男に、兵隊に
誠実を期待するんですの?
そんなことをおっしゃらないで、お願いですわ!
男なんて、
どれもこれも同じですわ。
柳の枝も、
変わりやすい風も、
男より
しっかりしてますわ。
男のやることなんて、
偽りの涙と
嘘の流し目と、
猫撫で声と、
ごまかしの愛撫に、
きまってますわ。
(第1幕第3場第12番アリア)
~アッティラ・チャンバイ&ディートマル・ホラント編「名作オペラブックス9 モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ」(音楽之友社)P93
また、自身が仕掛けた企てにもかかわらず、女の変心をして老哲学者ドン・アルフォンゾはかく語る。
一日の中に千回も心を変えるからといって
人は女を非難するが、
私は女を許す。
ある人はそれを悪い癖といい、ある人はそういう性と言う。
でも私には心の必然性と思える。
ついには失望した恋人も、
人のことを責めてはいけない。
女の誠を信じた自分がいけないのだ。
だから若くても、年とっていても、美人でも、醜女でも、
私と一緒に大声で繰り返しなさい。
女はみんなこうしたもの!
(第2幕第3場第30番アンダンテ)
~同上書P173-175
おそらく「私は女を許す」という言葉が肝。
性にとらわれることなく、そしてたとえ相手が過ちを犯したとしても許せと老哲学者は忠告するのである。あまりに人間臭いドラマの中にある神性。ここでこそ性悪説が性善説に転じるのである。
男は「女は誰しもこうしたもの」と言い、女は「男は皆こうしたもの」だと互いに言い張るけれど。
世界に男と女があって、その2つの性が絡み合って様々な事件を起こす。もともと男女は異なる星から生まれてきたような存在で、100%わかり合えるということはない。この世は須らく修業なり。そして、誰しも難行苦行を通じて「許容」を体得せよと僕たちに諭すかのよう。
モーツァルト晩年の歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」は発表以来の問題作だ。
しかしながら、これほどまでに人間世界の諸相を、駆け引きをネタに真理をうまく説いた作品はない。そして、何より最晩年のモーツァルトの、二重唱、三重唱、五重唱、六重唱と、見事なアンサンブルを繰り広げる美しい音楽の妙。
・モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588
エリーザベト・シュヴァルツコップ(フィオルディリージ、ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(ドラベルラ、メゾソプラノ)
ハンニー・シュテフェック(デスピーナ、ソプラノ)
アルフレード・クラウス(フェランド、テノール)
ジェゼッペ・タデイ(グリエルモ、バス)
ワルター・ベリー(ドン・アルフォンゾ、バス)
カール・ベーム指揮フィルハーモニア管弦楽団&合唱団(1962.9.10-18録音)
許しのヒントは第1幕第2場のドン・アルフォンゾの言葉にある。
言いたいけれども、勇気が出ない。
唇はどもり
言葉が外に出てこない。
それどころか喉にひっかかっているんだ。
どうしますか?どうしましょう?
ああ、なんてむごい運命だ!
これ以上悪いことはない、
あなたがたにも彼らにも本当にご愁傷さま!
(第1幕第2場第5番アリア)
~同上書P75
人間というもの、互いに真意を、本音を伝え合えと言いたいのか。
「魔笛」で解脱の(統合の)方法を示したモーツァルトは、その前の「コジ・ファン・トゥッテ」においては、現世での、三次元的人間同士の融合を、すなわちわかり合えぬもの同士わかり合うためにまずは受け容れよと訴えかけようとしたのかもしれない。
それにしてもカール・ベームのこなれた棒はモーツァルトへのひたむきな愛情に溢れる。同時に音の一粒一粒が確信に満ち、堂々たる響き。
また、例えば第1幕第4場第18番終曲におけるシュヴァルツコップ演じるフィオルディリージとルートヴィヒ演じるドラベルラの二重唱の完璧な美しさ!
今や
私にとって
人生は
苦しみで一杯だ。
つれない星が私に
いとしい人を逢わせてくれなくするまでは、
私は何がつらいことなのやら、
何が人を弱らせるのやら知らなかった。
(第1幕第4場第18番フィナーレ)
~同上書P115
人間関係の中での苦労や挫折を経ての人の成長過程を見事に描く「コジ・ファン・トゥッテ」は傑作である。
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考えてみれば、人間の行いを善悪に分ける二元論はデジタル的発想で、実際には自然界に善悪など存在せず、もし善と悪があるにしても、その間には無限のグラデーションがあり、同じ行為も、観る人によって、善が悪になったり、その反対だったりする人間の本質を、モーツァルトは完璧に理解していたのだと思います。
ご存じのように人間の体のほとんどが水でできており、胎児では体重の約90%、新生児では約75%、子どもでは約70%ト、成人では約60~65%、老人では50~55%を水が占めているといわれています。
美しい雪や雲が水ならば、洪水、濁流も水。男、女、岡本様や私だってほとんど水です。すべては水の戯れですね(笑)。
CSS で降らせるブログの雪がとても美しく感動しましたので・・・。
「雪の結晶: 小さな神秘の世界」 ケン・リブレクト (著), 矢野 真千子 (翻訳) 河出書房新社
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>雅之様
人間一人一人が水のように固執なく、何にでも柔軟に対応できるようになれれば戦争はなくなるのかもしれませんね。それこそ水の戯れです。
>CSS で降らせるブログの雪がとても美しく感動しましたので・・・。
1月4日まで雪が降るように設定されております。
また面白そうな本のご紹介をありがとうございます。
ベームには1974年、ザルツブルク音楽祭の時のライヴがあり、こちらも大変な名演です。フェランドがペーター・シュライヤー、グリエルモがヘルマン・プライ、フィオルデリージがグンドゥラ・ヤノヴィッツ、ドラベッラがブリギッテ・ファスベンダー、ドン・アルフォンソがロラント・パネライ、デスビーナがレリ・グリストです。
こちらも歌が大変素晴らしいもので、ご一聴をお薦めいたします。
>畑山千恵子様
1974年のライブも素晴らしい演奏ですよね。
ご教示ありがとうございます。