ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第8番ハ短調作品65(1982.3収録)

「エヴゲニー・アレクサンドロヴィチがショスタコーヴィチの交響曲第8番のリハーサルで、有名なトッカータの冒頭を何度も繰り返していたのを思い出す。オーケストラのアンサンブル、ダイナミクス、テンポのすべてが、完璧かつ正確に演奏されているように思えた。それなのに、指揮者は冒頭の小節を何度も繰り返していた。そうすることで、ついにこの音楽の独特なタッチが—正確な音符を打って—聴こえてくるのだ!」。ロジェストヴェンスキーはムラヴィンスキーを「一切妥協せず、自分の理想に対する忠誠の聖火を燃やしている」と描いている。
グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P291

ロジェストヴェンスキーの証言こそムラヴィンスキーその人の性格はもとより彼の創造する音楽そのものをも表現しているのだと思う。ムラヴィンスキーの指揮する第3楽章アレグロ・ノン・トロッポ(トッカータ)は別格だ(アンドレ・プレヴィンの指揮するそれと比較してみても明らかだ)。

コンサートの直前に、テレビ視聴者用に向けて収録された全曲演奏の神々しさ。
その際のインタビューを聞いてから全曲に触れてみていただきたい。ショスタコーヴィチの、ムラヴィンスキーのすべてがここにあると言っても言い過ぎではないだろう。

当時、ソ連の音響機器の状態は決して良いものとはいえなかった。
しかし、カメラワークは抜群のセンスを誇り、ムラヴィンスキーの峻厳な指揮の様子を見事にとらえていて、それだけで涙が出るほどに感動する。巨匠の腕の動きと、宙から音を編み出すような指揮ぶりに、ショスタコーヴィチの亡霊が、そしてまた音楽の女神が降り立っているようにすら感じられる。

何より魑魅魍魎たる(ムラヴィンスキーが「避けられない運命の世界」と呼んだ)第3楽章アレグロ・ノン・トロッポ(トッカータ)の壮絶な音楽と、レニングラード・フィルのアンサンブルの確かさ、さらには各奏者の力量の立派さ、優れたテクニックに感服する。続く(同じくムラヴィンスキーが「人間の心の深遠な神秘さ」と称した)第4楽章ラルゴ(パッサカリア)の静謐なる空(くう)の顕現の美に気絶しそうになる。

ショスタコーヴィチは絶対音感を持っている。彼はひとつひとつの楽器とオーケストラ全体を—それを想像して実際に—同時に聴くことができる。私たちが交響曲第8番のリハーサルをしていた時のことを思い出す。第1楽章の全体のクライマックスのそれほど前でない所では、イングリッシュ・ホルンが第2オクターヴの非常に高い音を出さなければならない。ここではイングリッシュ・ホルンはオーボエとチェロで重複され、オーケストラ全体の中ではほとんど聞き取ることができない。このことを考えて、リハーサルでイングリッシュ・ホルン奏者は、クライマックスのすぐ後に来る、壮大で決定的なソロのパッセージの前で、唇を維持するために1オクターヴ低く演奏した。オーケストラ全体のクライマックスでイングリッシュ・ホルンを聴き、この楽員の小さなごまかしを指摘することはほとんど不可能だった。私はこれに気づかなかったと告白しなければならない。しかしながら、私の背中の後ろの正面席から突然ショスタコーヴィチの声が聞こえた。「どうしてイングリッシュ・ホルンが1オクターヴ低く弾いているのだ」。私たち皆が打ちのめされ、オーケストラは演奏を止め、数秒間が過ぎた後、私たちは作曲家に拍手喝采を始めた。
~同上書P152

ショスタコーヴィチとムラヴィンスキー。
互いに切磋琢磨し合った同志の最高の形がここにある。

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第8番(1960.9.23Live) ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第8番(1982.3.28Live) ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ交響曲第8番(1961.2.25Live)を聴いて思ふ ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ交響曲第8番(1961.2.25Live)を聴いて思ふ 調和って? 調和って?

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