みどり&アバド指揮ベルリン・フィルのショスタコーヴィチ第1番(1997.12Live)を聴いて思ふ

すべては刹那であり、ありのままを形に残すことは確かに難しい。
三島由紀夫の「奔馬」幕切れ直前の父母と飯沼勲との会話が、実に意味深い。
自らの死を前にしてのこれを悟りの瞬間というのかどうなのか・・・、しかし、「大人になれば手に入るという」父茂之の誤魔化しもいかがなものだろう。

「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によって罰せられたわけですね。・・・どうか幻でないものがほしいと思います」
「大人になればそれが手に入るのだよ」
「大人になるより、・・・そうだ、女に生まれ変わったらいいかもしれません。女なら、幻など追わんで生きられるでしょう、母さん」
勲は亀裂が生じたように笑った。
「何を言うんです。女なんかつまりませんよ。莫迦だね。酔ったんだね、そんなことを言って」
みねは怒ったようにそう答えた。
三島由紀夫著「奔馬(豊饒の海・第2巻)」(新潮文庫)P490-491

芸術家の如く空想する少年は、世界が自らの思念で形づくられていることをあらためて知覚し、愕然とするのだが、対する、いわば「大人になればすべてが現実的になる」という父の言葉もわからないでもない。何にせよ生きよと。生きて恩を返せと。

五嶋みどりの奏するショスタコーヴィチを聴いて、音楽というものも本来幻であり、自由に飛翔することを止められた音が創造者の中で勝手気ままに料理され、形づくられたものに過ぎぬと確信した。音楽はうねる。音楽は弾ける。そしてまた、音楽は苦しいほどに沈みゆく。

作曲家が全精力を尽くして記号化したところで、脳内で鳴っているすべてを具現化できるものでなく、その意味で譜面というものは彼の思考と感性に囲われた一過性のもので、他の者にとって頼りになる答などでは決してない。ここで演奏者の才能及び(勝手な)解釈を得て、音楽はようやく音楽として成立する。

・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35(1995.3.7-11Live)
・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77(1997.12.5-8Live)
五嶋みどり(ヴァイオリン)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

第1楽章「ノクターン」の、いかにもショスタコーヴィチらしい「夜の美」。特に、中間部のあまりに静かで、それでいて芯のあるヴァイオリン独奏が、徐々に音量を上げ解放され行く姿、そして終結のハープとチェレスタの神妙な表情に僕は恍惚となる。
続く第2楽章スケルツォの、これまたショスタコーヴィチらしい諧謔的な音楽に笑みがこぼれる。ここでのみどりのヴァイオリンは水を得た魚の如し。
そして、第3楽章「パッサカリア」冒頭の、いかにもソビエト的な重厚かつ厳粛な旋律とそれに応えるように奏されるヴァイオリンの旋律は、まるで死への憧れのよう。何という透明感!何という昇華!
さらには、アタッカで演奏される終楽章「ブルレスケ」は、まさに昇天後の天国での生活を表わすようだが、どこか忙しなく、どこか苦悩が残る。

勲は深く呼吸をして、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこへ押しあて、左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突っ込んだ。
正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。
~同上書P505

夢か現か、(自らも同様の自死を選んだ)三島の表現のリアルさに背筋が凍るくらい。
恐ろしいけれど崇高な、世界に二つとない創造物。なるほど、ショスタコーヴィチの音楽にも三島の内にある苦悩を僕は発見する。
チャイコフスキーも名演だ。

 

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2 COMMENTS

雅之

防衛省市ヶ谷地区とは、三島由紀夫を愛するあらゆる者を吸い寄せるブラックホールのような場所かも(笑)。吸い寄せられた先に、ホワイトホールの出口はあるのか?

※岡本様に影響されて最近読んだ本

三島由紀夫 幻の皇居突入計画  鈴木 宏三 (著)  彩流社

https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB-%E5%B9%BB%E3%81%AE%E7%9A%87%E5%B1%85%E7%AA%81%E5%85%A5%E8%A8%88%E7%94%BB-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%BD%A9-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E5%AE%8F%E4%B8%89/dp/4779170605/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1489185307&sr=1-1&keywords=%E5%B9%BB%E3%80%80%E4%B8%89%E5%B3%B6

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岡本 浩和

>雅之様

防衛省は住まいに近接しておりまして、ちょくちょく自転車でその周辺を走っております。
そのたびに三島の事件を思います。
確かに出口のないブラックホールかもしれません。(笑)
面白そうな書籍の紹介をありがとうございます。

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