悲歌のシンフォニー

gorecki_sym3_zinman.jpg先日あいだゆから薦められた本。彼女曰く、セミナーを受講した直後に読んでみようと手に取ったところ、何とセミナーの中で教わったことが書かれてあり、岡本さんは読んだことあるのかと思ったとのこと。いや、僕がワークショップZEROの中でお話していることは、本を読んで学んだり、あるいはどこかの書籍から抜粋して引用しているものは一切なく、20年という歴史の中で、しかも1万人という人間と実際に対峙して学習してきたこと、感じてきたことを体系化し、受講いただいた方に体感ワークとともに教示していることなんだよと強調した。ゆえに説得力があります。
どんな本でもその著者の主観で書かれている。中には「なるほど」と思わず膝を叩いて感動させられる良書もあれば、実体験から学習したものでなくどこかからの引用ばかりで内容の薄い愚書もある。世の中にこれだけ書籍が氾濫している以上、お目当ての、というより納得の行く「良い本」に出会うというのは至難の技に近いが、それでも長年読み継がれている古典(それは小説でもエッセーでも、あるいは難解な哲学書などでもよい)ならば、まず間違いなく心の琴線に触れる箇所、あるいはフレーズが必ずあるものである。

薦められたその本、パール・バック著「母よ嘆くなかれ(新訳版)(原題は、The Child who never grew)」(法政大学出版局)。知的障害を持つ娘を持った著者が、子どもの成長とともに体験した様々な出来事から、人間の平等性、人を受け容れることの大切さを学んでいくことを記した実話を基にしたエッセー。

P70
とにもかくにも、悲しみとの融和の道程がはじまったのです。その第一段階は、あるがままをそのままに受けいれることでした。

P81-83
南京が占領されたのは春もまだ浅い頃で、わたしたちは日本を目指しました。それは長崎の港に間近い美しい山の中で、平和な夏を過ごすためでした。・・・(中略)・・・どこへ行っても、わたしたちは親切に、また丁寧にもてなされました。娘が他の子どもとはちがうことに気づいた人は一人もいなかったようです。娘は誰からもありのままに受けいれられ、それ以上は望めないほど優しくもてなされました。

P87
そのとき以来、わたしは幸福こそが、彼女の世界である、とひとり心で固くきめました。わたしは娘に対するすべての野心も、またすべてのプライドも捨て切り、そして彼女のあるがままをそのままに受けいれ、それ以上のことはいっさい期待しまいと、心に誓ったのです。

気になる箇所を挙げるとキリがないのでこのあたりにしておくが、この本を読みながら久しぶりに思い出したのが、17,8年前に流行ったグレツキのいわゆる「悲歌のシンフォニー」。1976年に作曲された立派な現代音楽だが、調性も明確で聴きやすい。何より、ポーランドの女性の悲しみが歌われている3篇の詩と心の深層から訴えかけてくる音楽の力の前に呆然となる。

グレツキ:交響曲第3番作品36「悲歌のシンフォニー」(1976)
ドーン・アップショウ(ソプラノ)
デイヴィッド・ジンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタ

第1楽章は、15世紀後半の「聖十字架修道院の哀歌『ウィソグラの歌』」から採られており、全編に深い哀しみと悲愴感が漂う。マーラーの交響曲第3番のアルト独唱による「夜が私に語るもの」が木霊する(ちなみに、この部分の歌詞はニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」から採られている)。

私の愛しい、選ばれた息子よ、
自分の傷を母と分かち合いたまえ。
愛しい息子よ、私はあなたをこの胸のうちに抱き
忠実に仕えてきたではありませんか。
母に話しかけ、喜ばせておくれ。
わたしの愛しい望みよ、あなたはもうわたしのもとを離れようとしているのだから。

そして、第2楽章の歌は一層悲痛だ。ナチスのユダヤ人収容所の壁に刻み込まれた祈り。

お母さま、どうか泣かないでください。
天のいと清らかな女王さま、
どうかいつもわたしを助けてくださるよう。
アヴェ・マリア。
~歌詞対訳/沼野充義

長くなった・・・。今日のところはここまで。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ご紹介のエッセイ、私もぜひ読んでみたいです!
ブラームス作曲 『ドイツ・レクイエム』第一楽章
悲しんでいる人たちは幸いである、彼らはは慰められる。
(マタイによる福音書 第5章 第4節)
涙とともに種を蒔く人は、喜びの歌とともに刈り取る。
(詩編 第126章 第5節)
種の袋を携え、泣きながら出て行く人は、
束ねた穂を携え、喜びの歌を歌いながら帰ってくる。
(詩編 第126章 第6節)
                 (以上、雅之訳)
ブログ本文を読んで、そんな気持ちになりました。
先日の岡本さんの返信コメントについて
>「人の本性は「一」である」です(人間論的な捉え方でなく、善も悪も陰も陽も包括して一つだと)。
http://classic.opus-3.net/blog/cat49/post-237/#comments
おっしゃるとおりだと思います。
ベートーヴェンの後期が、まさにその境地ではないのでしょうか?
「幸福」「不幸」、「苦悩」「歓喜」、「善」「悪」、「陽」「陰」、「明るい」「暗い」・・・そういう二元論をことごとく超越しています。そしてそれは、仏教における「般若心経」の境地にも極めて近いと感じます。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C%EF%BC%88%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%EF%BC%89
酒浸りの父親も、俗物ナポレオンも、「善」か「悪」かなんて、もはや全く意味のないこと・・・。しかしベートーヴェンがそういう境地になれたのは、「悲しい体験」をたくさんしてきたからなのでしょうね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
確かに「ドイツ・レクイエム」の世界にも通じますね。
>ベートーヴェンの後期が、まさにその境地ではないのでしょうか?
>そういう二元論をことごとく超越しています。
同感です!
>しかしベートーヴェンがそういう境地になれたのは、「悲しい体験」をたくさんしてきたからなのでしょうね。
悲しい体験も辛い体験も、喜びの体験も楽しい体験も彼は同じくらいしていると思います。それに「耳が聞こえなくなった」という事実が二元論を超越させたきっかけかもしれません。失望から開き直り、最後はその状態を受け容れたことにより、作品が一層深化したのだと思います。
ところで、雅之さんはドイツ語の歌詞の訳出までやられるんですね!大したものです。

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あいだゆ

岡本さん
この本からは、自らの体験に悩み、考えぬき、
そして自分なりの答えにたどりついたという
重みが深く感じられますよね。
これを機に、彼女の著作すべてに触れてみたいと
思いました。
「悲歌のシンフォニー」、さっそく聴いてみます。
どのように感じるのか、とても楽しみです。
それではまた。

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岡本 浩和

>あいだゆ
こんばんは。コメントありがとう。
>これを機に、彼女の著作すべてに触れてみたいと
思いました。
そうね、パール・バックは僕も「大地」しか知らないので、興味を持ちました。
「悲歌のシンフォニー」、ぜひ聴いてみてね。

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