ブラームスのピアノ四重奏曲

brahms_richter_borodin_q.jpg物心ついた頃から人に自分の本音を伝えてこなかったという人がいる。反抗期もなかったのだとか。無意識のうちに「自己防衛」が過剰になってしまっているのだろう、大人になってから人間関係で苦労する人が多い。本人は意図的にそうやっているわけではないからなおさら調子が悪い。わかってやっているならまだいいが、わかってないゆえ、何をどうすればそういう問題が回避できるのか自覚できないのだから。
等身大の自分。素直になるってどういうことなのか?言いたいことを言い、やりたいことをやりたいようにやればいいのかというと決してそうではない。怒りたい時は怒るべきである。悲しいときは泣いたって良い。ただ、その感情の発露の奥底の「状態」がどうなっているのかが問題なのである。つまり、自分を守るために(自分のために)相手に感情をぶつけているなら、その相手との関係は良くなるどころかより悪化するだろう。しかし、心底相手のことを想い、相手に良くなって欲しいという気持ちから本音を露わにするのなら、その相手との関係はより一層近くなる。

僕は、人間の状態は「自分のことを考えているか」、あるいは「人のことを想えているか」のどちらかに大別されるように思う。そして、僕も含めて人間は一般的には生活の中でほとんど「自分のことを考えている」場合が多いといえる。食事のとき、眠る時、勉強する時、そういう時はいつも意識が自分に向いている。
もちろん、「自分のことを考えること」が駄目だといっているわけではない。人間である以上、身体を持っている以上「自身を守る」ということは当然の本能だから。過剰になっているときに(つまり、我に入っているときに)その状態に「気づける」ことが重要なんだと僕は考えるのだ。
愚痴らず、感謝と喜びの言葉を。

先日、中学生向けのキャリア講座を受け持った時も、そのことを14歳相手にお話させていただいた。どれだけの子どもたちが理解してくれたのだろうか?後になって先生に聞いてみると少なくとも半数以上の子どもたちが、「他者に意識を向けること」は難しいことだけど、大切なことなんだということをわかってくれたようで、アンケートにはそういう記述が多く見られたと。であるなら、まずは良し。僕が言いたいことの大半は伝わっているから。それに90名全員に理解してもらおうなどというのがそもそも傲慢なのだ。その場に居合わせた中の仮にわずかな人にでも影響を与えられればそれで良い。

雨が降るたびに寒くなる。ダウンジャケットが必要なんじゃなかろうかと思うほど寒い。先生が電話でおっしゃっていたが、先日の中学生たちの中にも新型インフルエンザに感染した生徒が頻出しているらしく、今日から学級閉鎖になっているクラスが多いのだと。いや、真面目に気をつけないと・・・。

ブラームス:ピアノ四重奏曲第2番イ長調作品26
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ボロディン四重奏団

ブラームスは自身が納得しない音楽は一切後世に残してないゆえ、一般に聴くことのできる作品のいずれも一部の隙もなく、完成度が高い。29歳のときに出版されたこのピアノ四重奏曲も瑞々しさと堅牢さとをあわせもつ演奏時間45分強の大作。
リヒテル&ボロディンQの演奏は、ロシアの広大な大地の土臭さを感じられるところが良い。それに、何より演奏者たちが聴衆を楽しませようと一生懸命になっている姿を想像できるところに安心感がある。終演後の拍手を聴いてそんなことを思う。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
今朝は、共感を得られるかどうか、自信のあるコメントではありません。違和感を感じられたら、率直にご指摘ください。
ブラームスは「線」の感情、シューマンは「点」の感情、
ブラームスは「器用」、シューマンは「不器用」、
ブラームスは「完璧」、シューマンは「欠点だらけ」
私は「線」より「点」の、衝動的なパッションが聴きたい。
建前で塗り固めた「器用」より、「不器用」でもその人の本音が聴きたい。
一見「完璧」な人より、「欠点だらけ」の人の芸術に、真実味を感じる。
ブラームスは隠し事が多すぎました。証拠隠滅は完璧です。だが我々は、彼の裏の顔をもっと知りたいのです。「本音」をさらけ出して欲しかったのです。彼は墓場まで、いろんな真実を持って行っちゃいましたね。膨大な曲の書き損じと共に・・・。それが、私がブラームスを物足りなく思う、大きな原因です。
あの実演嫌いなグレン・グールドだって、生きた証、人間の弱点の証拠をいっぱい残してあの世に逝ったではないですか! ハイドシェックだって、あんなに人間の弱みを見せて、皆に愛されているではないですか!
人間の「強み」と「弱み」はコインの表裏、磁石のN極S極で、不可分です。人間を愛するということはその両方を愛することに他なりません。
リヒテル&ボロディンQ、私も大好きです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
違和感どころかとても共感できるコメントありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。
例えばセミナーも、以前は「自分の弱点を自覚して、それを克服するためにトレーニングをしなさい」という観点で受講生を叱咤激励しながら進めていました。でも、今は観点が違います。「強みも弱みも、プラスもマイナスも自覚して、それをすべて受け入れてしまおう」という考え方に変わりました。ありのままの、等身大の自分を認めるところから始めようと。
確かにブラームスは弱みをさらけ出せなかったところが弱点だと僕も思います。おっしゃるとおりその点が彼の物足りなさだとも思います。
しかし、どんなに外側を完璧にみせようとしても、人間の本質って見破られちゃいますよね。一見「器用、完璧」に創られている音楽の中に「弱さ」、「コンプレックス」を感じとる、発見するところにブラームスの面白さがあるのではないかとも思うのです。
>ブラームスは隠し事が多すぎました。証拠隠滅は完璧です。だが我々は、彼の裏の顔をもっと知りたいのです。
そう、そういう風に思われてしまう「弱さ」、それが逆にブラームスの弱さだと思います。まぁ、こういう議論ができるということはやっぱりブラームスのことは好きなんだと思いますが(笑)。

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雅之

>まぁ、こういう議論ができるということはやっぱりブラームスのことは好きなんだと思いますが
そうですね、近親憎悪に近い感情なんだと思います、やっぱり・・・。
「好き」の真の反対語は「嫌い」ではなく「無関心」ですからね、「好き」「嫌い」の感情もコインの表裏、磁石のN極S極というのが、人間の深層心理ですよね。
ということは、私、宇野先生のことも本当は「好き」ということですか? それは悔しいなあ!(笑)

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岡本 浩和

>雅之様
>ということは、私、宇野先生のことも本当は「好き」ということですか? それは悔しいなあ!
嫌い嫌いも好きのうち、ということですね(笑)。
少なくとも若い頃は随分お世話になっているのですから。

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