
「録音技師の回想」
セッションはあらゆる点でうまくいきました。カラヤンのお蔭で有名になり、この地で初のソロ・アルバムをレコーディングしていたグンドゥラ・ヤノヴィッツは素晴らしい声の持ち主で、選ばれたコンサート・アリアの高度な技術的要求にも全く難なく対応し、ウィーン交響楽団もこれらの音楽をまるで自分たちのものにしているようでした。セッションの合間には、ロベルト・シュトルツによるウィンナ・ワルツの録音が流れ、会場全体はまさに気楽な夏のバカンスのような雰囲気が漂っていました。
私はパリから戻ったばかりで、6月のウィーンを楽しみにしていました。天気は素晴らしく、プロデューサーのカール・ファウストとウィーン郊外に滞在していたので、自由時間には必ずウィーンの森を散策していました。
当時、ウィーンに地下鉄が建設されるということで、かなり心配していたのを覚えています。ところが、それがかえってプラスに働いたのです。ウィーン楽友協会近くのカールス広場の一部区間の交通が迂回され、実際の工事は後になって始まったのです。
当時録音されていたものの収録時間の関係でLPレコードには収められていなかった「聖墓の音楽」K.42(35a)からのアリア「岩よ、お前たちの口を開けよ」と「この胸を眺めて」がCDで聴けるようになったことは特に嬉しいことです。
(ギュンター・ヘルマンス)
録音技師の回想のとおり、当時29歳のヤノヴィッツのぶれのないリリック・ソプラノに酔い痴れる。


オペラはもちろんのこと、モーツァルトの声楽の素晴らしさ。
じっくり聴けば聴くほど味わい深く、わずか35年の人生ながら、人の道の酸いも甘いも刻まれていて、時に切なく、時に嬉しくなる。彼の神童ぶり、天才ぶりはいかばかりか。
録音技師の回想にあるように、11歳の時に作曲した「聖墓の音楽」からのアリアが子どもとは思えない内容で感動的ですらある。嘘か真か、この曲にまつわるエピソードがまた興味深い。
先にオラトリオ「第一戒律の責務K.35」(第1部)を委嘱したジギスムント大司教はこれほど見事な曲が本当に少年のものだとは信用せず、彼を一週間閉じ込め、この間誰にも会わせずに、五線紙とカンタータの歌詞だけ与えてひとりにしておいた。 この短い期間に、少年は非常に素晴らしい受難カンタータ「聖墓の音楽」を作曲し、これは上演され、実に大きな拍手喝采を得た。
(デインズ・バリントン卿(1727-1800)の報告)
もはや神がかった、人間の手によるものとは思えない完成度に驚嘆する。
ヴォルフガングの成熟した精神が、否、魂がこれほどまでの音楽を書き上げたのだろう。
そして、レチタティーヴォとアリア「憐れな私よ、ここはどこなの?・・・ああ、語っているのは私ではないの」K.369に横溢する自己憐憫の感、そして天の采配を呪う思いをこれほどまでに誠実に、そしてリアルに表現し得たヤノヴィッツの技量に僕は感動する。
嗚呼、単に美しいだけでなく、心がこもった歌がこれほど感動的とは。
