
ついに決定的な方法でチェロをソロ楽器の仲間に入れた偉大な人物が登場した。チェロはいまや「感傷的」に奏でられるものではなく、どんな楽器ともすぐれた合奏ができるようになった。これらはすべて、カザルスのおかげである。
エマヌーエル・フォイアーマン「パブロ・カザルスに捧げる」(1976)
~ジャン=ジャック・ブデュ著/細田晴子監修/遠藤ゆかり訳「パブロ・カザルス―奇跡の旋律」(創元社)P35
両親、先祖、先達、先輩など、何にせよ恩に報いることが大切だ。
カザルスの古い録音を偶に聴くと、奏法は古いものも中にはあるが、彼が総じてテクニックよりも音楽性を重視した、つまり外面を磨き上げることより内面から湧き上がる精神性を大切にした音楽家であったことがよくわかる。
それは彼の戦時中の行動や言葉を見ても明らかだ。
例えば、フランコ政権に対して、カザルスは徹底的に抵抗を試みた。
人道主義の原則を踏みにじる日和見主義に直面したカザルスは、自分なりの方法で抵抗運動をすることに決めた。それは、スペイン人が独裁者の支配下で苦しみつづけるかぎり、公衆の前では今後いっさい演奏せず、合国から栄誉をあたえられても受けとらない、というものだった。こうして、自分の良心に従うため、カザルスはふたたびプラードに閉じこもった。
~同上書P74
彼は自身の良心に従い行動した。
カザルスのバッハやベートーヴェンが美しいのは、良心の発露がそこに自ずとあるからだ。
かの行動に対して世間の評価は様々だったという。


ひそかにプラードへ行き、カザルスの決心を変えさせようという試みが何度もなされた。そのたびに、カザルスは答えた。「金の問題ではないんだ。純粋に、道徳の問題なのだよ」
~同上書P74-75
良心、そして道徳。彼は宇宙のからくりを知っていたのだと思う(残念ながら一竅は開いていないが)。
カザルスの創造する音楽に共通する「慈愛」、なるほど、戦後まもなく録音されたサー・エドワード・エルガーのチェロ協奏曲にもそれは感じ取れる。
歌い回しは時代を感じさせるものだが、戦争の悲惨さをあらためて振り返り、犠牲者の魂に語りかける鎮魂のエネルギー、そして祈り、これは感謝と懺悔に包まれた演奏であり、実に感動的だ。
・エルガー:チェロ協奏曲ホ短調作品85(1918)
パブロ・カザルス(チェロ)
サー・エードリアン・ボールト指揮BBC交響楽団(1945.10.14録音)
第1楽章冒頭の独奏チェロによるカデンツァは、カザルスの力強い、平和を希求する信念がこもったものであり、終楽章でこの主題が回帰する瞬間、音楽によって平和を獲得せんとするカザルスの大いなる志が歓喜を伴って羽ばたくのだ(まるでカタロニア民謡「鳥の歌」のようだ)。

