引き出し

beethoven_9_mengelberg_0002.jpg来週はばたばたと忙しく、26日の「早わかりクラシック音楽講座」の準備もままならないので、時間を割き、何とか資料を大枠だけ仕上げた。自分で「ベートーヴェンのシンフォニー聴き比べ」なぞと計画しておきながら、はてさてどうしたものか随分頭を悩ませた。本当は9曲全部を順番にじっくりと、しかもいくつかの演奏を比較しながら聴き倒したいなんて思うのだが、そうもいかない。あれこれ参考書籍を読みながら思案する中、指揮者の金聖響氏がスポーツライターの玉木正之氏と対談形式で綴った「ベートーヴェンの交響曲」(講談社現代新書)に興味深い文章を見つけ、なるほどと膝を打った。

「いま、思わず『即興』といってしまったので、ここで注釈をつけておきますが、音楽で『即興』という言葉を使うときは、けっして『思いつき』とか『何でもアリ』という意味ではありません。いくつも用意しているオプションのなかから、瞬間的にひとつのものを選ぶ、という意味です。これは、ジャズの世界も同じです。とにかく無茶苦茶に思いつきで・・・などといっては音楽になりません。オプションとして用意しているいくつかの『引き出し』から。突然ひとつの『引き出し』を開けて、中身をひっぱりだすのが即興で、あらかじめ『引き出し』が用意されていなければ、即興もできません。
大ピアニストであるベートーヴェンが、即興の変奏を得意としていたというのは、『引き出し』を山ほど持っていた、というのとほとんど同義語です。」(121ページより引用)

ベートーヴェンの9つの交響曲はどれもが個性的だ。ひとつとして同じ型、パターンはない。どの時代も革新的で挑戦的だったベートーヴェンが推敲に推敲を重ねて創作したひとつひとつは真に人類の宝であることを本日も再確認した。どうしてこういう神憑り的な仕事ができたのか、それは彼が決して「宇宙人」だったからではない、幼少の頃からの父親の厳しい教育と躾により半端でない「引き出し」を植え付けられたからだ。”Every
experience is a wonderful gift.”(すべての経験は素晴らしい贈り物である)。それがどんなに辛い経験であろうとも、それがあったから「今」がある。海千山千の体験がベートーヴェンにかくも素晴らしい9曲を書かせたのである。

久しぶりに、立て続けにいろいろな音盤を聴いた(ベートーヴェンの交響曲)。中で、20年ぶりに取り出した、究極の第9番がある。全曲を聴くのはしんどいので、第3楽章とフィナーレを続けて2回ほど。

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付」
トー・ファン・デル・スルイス(ソプラノ)
スーゼ・ルーヘル(アルト)
ルイ・ファン・トゥルダー(テノール)
ヴィレム・ラヴェッリ(バリトン)
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
オランダ王立オラトリオ協会合唱団
ヴィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1940.5.2Live)

フィナーレの最後に吃驚。すっかり忘れていたが、これほどのオチがあろうか。こんなのは初めて聴いた(唖然)。メンゲルベルクの音楽は確かに陶酔的で、ティーンエイジャーの頃は随分のめり込んでいたが、今となってはあまりに恣意的で納得ゆかない部分も多い。しかし、久しぶりに聴くと思い切り感動する(笑)。つまり、何度も繰り返し聴く演奏ではなく、一期一会の、その場限りのものだということ。メンゲルベルクの録音をいろいろと聴き比べてみたわけではないので何ともいえないが、彼も相当の「引き出し」を持っていたのだろうか?


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
金聖響氏と玉木正之氏による「ベートーヴェンの交響曲」(講談社現代新書)は、二人ともベートーヴェンの時代はピリオド奏法だったと盲信する陥穽に陥っているところ以外は、示唆に富んだ良書だと私も思います。
>どうしてこういう神憑り的な仕事ができたのか、それは彼が決して「宇宙人」だったからではない、幼少の頃からの父親の厳しい教育と躾により半端でない「引き出し」を植え付けられたからだ。”Every experience is a wonderful gift.”(すべての経験は素晴らしい贈り物である)。それがどんなに辛い経験であろうとも、それがあったから「今」がある。
同感です。
ふと思い出したのは、今年ブームになった探査機「はやぶさ」のことです。
・・・・・・「もうだめだ」と、何度あきらめかけたことか。しかし、「はやぶさ」は帰ってきた。
60億キロ7年に及ぶ宇宙の旅を終え、地球の大気圏に突入。「はやぶさ」本体は高熱で燃え尽きながら、最後の力で届けたカプセル。その中から微粒子が見つかった。小惑星の砂ならば、太陽系誕生の謎を解く「宇宙の化石」だ。しかし、それだけではない。「はやぶさ」が地球に届けた一番大きなものは目に見えない。忘れかけていた夢と勇気と感動だ。
未知の宇宙旅行は困難の連続だった。通信途絶で行方不明、燃料漏れ、エンジン故障など、絶体絶命となった時、地球の管制室にいた日本人技術者達の「知恵」と「執念」が、いつも逆境を跳ね返した。例えば、4つのエンジンが全てトラブルになった時には、生き残った部品を遠隔操作でつなぎ合わせ、新たなエンジン機能を作り出すなど、一発逆転の様々なアイディアが飛び出してきた。・・・・・・下サイトより
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/100828.html
※現在予約中のDVD
「小惑星探査機“はやぶさ”の軌跡」
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3929030
人は、決して最初に描いたシナリオ通りには生きていけませんよね。トラブルに見舞われ、これ以上前進不可能と挫折しかかった時、今まで培ってきた様々な「引き出し」の中から、それまでと異なるアイデアで逆境を切り抜け前に進む方法をあきらめずに見つける必要に迫られることが、必ず何回もあります。探査機「はやぶさ」は、その当たり前なことの大切さを、私達日本人に教えてくれました。
たくさんの「引き出し」を持たなければならないのは、人生も仕事も企業も組織も国家も人類も同じだと思います。「種の多様性」があるから生物は地球の環境変化に対応できたのですからね。当然、いろいろな「引き出し」を持つ懐の深い人間を育てる教育は、とても大事ですよね。
>メンゲルベルクの音楽は確かに陶酔的で、ティーンエイジャーの頃は随分のめり込んでいたが、今となってはあまりに恣意的で納得ゆかない部分も多い。しかし、久しぶりに聴くと思い切り感動する(笑)。つまり、何度も繰り返し聴く演奏ではなく、一期一会の、その場限りのものだということ。
同感です。20世紀になり録音が普及し情報洪水の世になると、「繰り返し聴いても飽きない、疲れない」という演奏の美点が重視されるように人々の価値観が変質しました。
しかし、人生は一回限りなのです。
来世も人間であるとは限りません(爆)。であるからこそ、「この瞬間」に命を輝かす古いタイプの演奏も、掛け替えが無く貴重だと思うのです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>二人ともベートーヴェンの時代はピリオド奏法だったと盲信する陥穽に陥っているところ
おっしゃるとおりですね。入門者向けの書籍ということもあるからでしょうが、全編にわたって常識的な域を出ていないところが少々残念ではあります。
>トラブルに見舞われ、これ以上前進不可能と挫折しかかった時、今まで培ってきた様々な「引き出し」の中から、それまでと異なるアイデアで逆境を切り抜け前に進む方法をあきらめずに見つける
>人生も仕事も企業も組織も国家も人類も同じ
そうなんですよね。そう考えると「失敗」ってないですよね。
>「この瞬間」に命を輝かす古いタイプの演奏も、掛け替えが無く貴重だと思うのです。
同感です。たまには歴史的録音を聴いて刺激を与えるようにしたいものです。

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