ノット指揮東響のモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492(演奏会形式)

ついにノット指揮東響のロレンツォ・ダ・ポンテ3部作が最終章を迎えた。感無量。
第4幕最後のシーンでのアンサンブルの熱さに心が震えた。

苦しみと気紛れと
狂気のこの日を、
ただ愛だけが満足と陽気さで
終らせることができるのだ。
アッティラ・チャンバイ/ディートマル・ホラント編「名作オペラブックス1 モーツァルト フィガロの結婚」(音楽之友社)P215

「フィガロの結婚」はたった一日の物語だ。この滑稽な茶番を、外から冷静に見たときに、なるほど僕たちが今生きているこの世界もそれほど大差のない幻想の中にあるのだと思った。冷静な目が必要だ。

貴族がいて庶民がいて、また、男がいて女がいる。モーツァルトはおそらく、あの時期から(無意識下に)二元の世の中の矛盾に気づいていたのだろう。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず、ダ・ポンテはシステムの問題をあからさまに指摘する。

スザンナ、伯爵夫人、フィガロ
困った、仰天した、
絶望だ、びっくりした。
地獄の悪魔が彼らを
ここによこしたに違いない。

マルチェリーナ、バジリオ、バルトロ、伯爵
大打撃だ、うまくいった。
みんなすっかり驚いている。
恵みの神が
私たち(彼ら)をここに連れて来てくれたのだ。
~同上書P139

この場面の音楽は実に熱く、真に迫っていた。

キレがあるのに決して軽くなく、むしろコクのあるモーツァルト。小編成のオーケストラが、ジョナサン・ノットの棒の下、気を吐いた。序曲から小気味良いテンポで一気呵成に音楽が進んで行く様に僕は手に汗握った。

2018年12月9日(日)13時開演
サントリーホール
・モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492(演奏会形式・原語上演)
第1幕
第2幕
休憩
第3幕
第4幕
アラステア・ミルズ(演出監修/バルトロ&アントニオ、バス)
マルクス・ヴェルバ(フィガロ、テノール)
リディア・トイシャー(スザンナ、ソプラノ)
アシュリー・リッチズ(アルマヴィーヴァ伯爵、バス・バリトン)
ミア・パーション(アルマヴィーヴァ伯爵夫人、ソプラノ)
ジュルジータ・アダモナイト(ケルビーノ、メゾソプラノ)
ジェニファー・ラーモア(マルチェリーナ、メゾソプラノ)
ローラ・インコ(バルバリーナ、ソプラノ)
アンジェラ・ポラック(バジリオ&ドン・クルツィオ、テノール)
込山由貴子、吉成文乃(花娘)
新国立劇場合唱団
ジョナサン・ノット(指揮/ハンマーフリューゲル)東京交響楽団

独唱者はいずれも破格。特に、伯爵夫人を演じたミア・パーションの類稀なる歌唱力に卒倒。もちろんスザンナのリディア・トイシャーの歌も、フィガロに扮したマルクス・ヴェルバの歌も素晴らしかった。何より舞台いっぱい使用されての白熱の演技。時に観客に笑いをもたらすも、各々が役になり切った芝居に心底感激した。

ところで、開演前、アルマヴィーヴァ伯爵を演じるアシュリー・リッチズが体調不良にもかかわらず本人の強い希望で出演する旨のエクスキューズ・アナウンスがあったが、思ったより瑕もなく堂々たる歌唱を聴かせてくれた。25分の休憩を挟み、最初から最後までワクワク、ドキドキの3時間半。
あらためて思ったこと。神の子モーツァルトの文字通り神性。
「フィガロの結婚」は単なる貴族を揶揄した風刺劇でもなければ、喜劇でもない。後の「魔笛」に通じる、世界の茶番を嘲笑った、そして人類が一致団結して真の調和を目指すべきだと謳った崇高な精神劇なのである。

ノットのインスピレーション満ちるハンマーフリューゲルの相変わらずのマジック(センスの塊!!)。この際、「魔笛」や「後宮」もぜひ舞台にかけていただきたいところ。

2016年12月9日(金)「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(ミューザ川崎)
2017年12月10日(日)「ドン・ジョヴァンニ」K.527(ミューザ川崎)

 

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