ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管のベートーヴェン「英雄」ほか(1998.5録音)を聴いて思ふ

鮮烈!
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレによるベーレンライター版の「エロイカ」を初めて聴いたとき、一番驚いたのは、終楽章アレグロ・モルト第2変奏で、ヴァイオリンもヴィオラもチェロも一人の奏者に演奏させていたところ。そういえば、3年前に聴いたグザヴィエ=ロト指揮都響定期の「エロイカ」もまったく同じ解釈だったと記憶する。

年齢を重ねたせいか、今の僕は、こういう快速の、それでいて味のある「エロイカ」を好む。ジンマン独自の方法のようだが、第2楽章葬送行進曲でのオーボエの装飾も自由闊達な雰囲気を醸し、とても美しい。一部の隙もない、新しいベートーヴェン!見事である。

「エロイカ」に関するリヒャルト・ワーグナーの解説が素晴らしい。

そもそも「英雄」とは―愛と苦悩と力という―純粋に人間的な感情のすべてを、余人の及ばぬほどゆたかに強く身にそなえた完璧な全人der ganze, volle Menschのことである。そう理解することで私たちは、芸術家が心に食い入るような楽音にこめて語り伝えるテーマを、あやまたずとらえることができるのだ。
松原良輔訳「ベートーヴェンの《エロイカ交響曲》」(1851)
ワーグナー/三光長治監訳/池上純一・松原良輔・山崎太郎訳「ベートーヴェン」(法政大学出版局)P11-12

「全人」とは言い得て妙。ジンマンの奏でる音も完全無欠、これ以上ないという暗い艶やかで無駄が削ぎ落とされたものだ。涙がこぼれる。

ベートーヴェン:
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
・交響曲第4番変ロ長調作品60
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(1998.5録音)

健全なベートーヴェン。吹っ切れたベートーヴェン。
ワーグナーの解説の締めの言葉は次の通り。

しかし、かくも筆舌に尽くしがたい境地を語りうるのは巨匠の音=言語だけであり、私がここに綴ってきた言葉は、そのような境地をきわめて不器用に暗示することしかできない。
~同上書P15

1851年2月25日の音楽協会主催のコンサートでのワーグナーによるこの曲目解説は、当時の聴衆の心に確かに響いたことだろう。

そして、同じく斬新な響きの変ロ長調交響曲!何より浮き上がる独奏楽器の初々しくも鮮やかな音色がジンマン&トーンハレの真骨頂。第2楽章アダージョが出色。

人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。これを押し潰すのに宇宙全体が武装する必要はない。一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに殺すのに十分である。
(パスカル「パンセ」)

パスカルは、人間がもっと謙虚であるべきことを諭す。自らの「弱さ」を自覚せよというのだ。たぶん、ベートーヴェンも同じ考えなのだと思う。

 

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10 COMMENTS

ヒロコ ナカタ

ジンマン・トーンハレの「英雄」を聴きました。オーケストラが一糸乱れずこんなに速く演奏できるなんて、と驚きました(一流のオーケストラなら当然のことかもしれませんが)。ジンマンは、ベートーヴェンが当時、楽譜に書き記した原点に返って演奏する、というコンセプトでベートーヴェンの一連の録音をして、ということをどこかで読んだような気がしますが、その通りだとすると、ベートーヴェンが生きていた時代の演奏はこんなのだったのでしょうか。とても生き生きとして奔放、活力と喜びに満ちた「英雄」交響曲だと感じました。終楽章第2変奏も、弦楽四重奏のようで、ベートーヴェンはこのように指示していたのでしょうか。楽譜研究は進んでいて、あたかも古い名画の垢を落とすように、作曲された当時の楽譜がどんなだったか探求し提示するのだけれど、演奏者はその新しい楽譜を採用して取り組む労を惜しんで、従来の馴れた楽譜で演奏する。しかし、ジンマンは違う、と。その通りだとすると、ジンマンの態度は素晴らしいと思います。
 ジンマン・トーンハレ・テツラフのヴァイオリン協奏曲を聴いた時の新鮮な高揚感は、ベートーヴェンのそれだと思えました。今まで聴いてきた演奏が、変に分別くさく感じられました。「英雄」は・・・
その新鮮さが、なんだか軽々しく響くような気がしました。そのあと、手持ちのCD(クリュイタンス・ベルリン)で「英雄」を聴いてみたら、その’手垢’がとても心地よく、英雄の勇敢さ、悲劇性、格調高く前進する姿などが想像されて、ベートーヴェンがナポレオンに見出し、裏切られたけど諦めずに打ち出した「英雄」の面影を彷彿とさせるような気がするのは、『楽聖の物語を下敷きにして音楽を聴く』からなのでしょうか。ふっきれた境地はまだまだ遠いのでしょうね。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様
再現芸術を享受する喜び、ここにありという感じですね。
いろいろな解釈があり、捉え方も千差万別、それはまた時代によって変化し、もちろん聴く側の一人一人の感性によっても変わること自体が音楽を聴く愉しみだとあらためて思います。

若い頃は「エロイカ」に夢中で、フルトヴェングラーに始まり、ワルターやトスカニーニ、クリュイタンスやシューリヒト、朝比奈隆など聴き漁った時期が何年も続いたのですが、ある時からパタッと醒めてしまいました。
特にいつ頃からか原典主義が流行り出して、第1楽章提示部の反復など煩わしく、それによって余計に前半2楽章と後半2楽章のバランスが悪くなり、あれほど好きだった音楽が、これは果たして本当に名曲なのかとさえ思うようになりました。

そんな中、かれこれ20年前にいわゆるベーレンライター版というものが出て来て、ジンマンをはじめとしていくつか録音もリリースされ興味をもって聴いてみたものの、当時はあまりの軽さが気になったのと、それまでの「エロイカ」という曲に対する刷り込みが邪魔をして正直ピンと来なかったものです。ところが、50歳を越えた頃でしょうか、突然ベーレンライター版の素晴らしさに開眼し(それは3年前のロト指揮都響定期を聴いたとき)、以来、ジンマン盤は愛聴盤になっています。

特にジンマン盤の特長は、第1楽章提示部の反復はあれど、すべての楽章のテンポがきびきびとして、前進的であり、それによって前半2楽章と後半2楽章のバランスが見事にとれ、作品の本来の姿・在り方が明確になったことでしょうか。

何より、全曲を45分ほどで走り切り、一切無理のない、そして無駄のない、バランスの良い名演奏に、最後まで弛緩なく緊張感を保ったままで聴くことができることに今の僕はとても感銘を受けております。

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和様

 いろいろと興味深いお話をありがとうございました。1楽章の反復があることで楽章間のバランスが崩れ、演奏によっては曲そのものの素晴らしさも損なわれてしまうとは!そのようなことを今まで考えたこともない迂闊な鑑賞者です。楽譜の版の問題はなかなか複雑なものがあるようですね。それに関して一つ覚えていることは、「運命」の1楽章の「パ・パ・パ・パーンパーンパーン」のところで(すみません)、最初のはホルンが演奏するけど、次のはファゴットとベートーヴェンは指定しているとかで、ファゴットで演奏しているCDを聴いたら、なんだか違和感があったのを覚えています。当時の楽器の音域が関係していたようなのですが・・・ベーレンライター社の版は、どんな根拠でどこかどのように違うのかよくわかりませんが興味が湧いてきました。「ベートーヴェンは自然や宇宙と一体化していた」と感じられる体験をされたこと、うらやましくも素晴らしいことですね。ロトという指揮者の「英雄」のCDはないのでしょうか。他にも、ベーレンラーター版で演奏しているCDがあるようなので、聴いてみたいと思います。ありがとうございました。

 

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様
第5交響曲第1楽章の第2主題直前のフレーズが、提示部ではホルンなのに、再現部ではファゴットになっているというのは、当時のホルンではどうも再現部のその部分を吹くのが難しかったという理由からの苦肉の策だそうですよね(後世の研究による推論なので、それも本人以外実際のところはわからないと思います)。ただ、現代のホルンでは技術的には難しくなく、ブライトコプフ(旧)版を使用していた昔の指揮者(例えばフルトヴェングラーなど)は、原典を無視してホルンに吹かせています。とはいえ、(同じくブライトコプフ版を使用していたであろう)朝比奈隆などは原典主義なので、当然ここはファゴットにやらせています(僕はあまり違和感を感じません)。
ベーレンライター版を使う今の指揮者たちは全部を確認したわけではないですが、間違いなくファゴットのままでしょう。そういう視点から聴くと、指揮者によって作品解釈も様々で面白いですね。時間がいくらあっても足りません(笑)。

ちなみに、ロトは「エロイカ」は音盤にはなっていないと思います。Youtubeでは第5交響曲がアップされていますのでぜひ観てみてください(たぶんベーレンライター版だと思います)。
https://www.youtube.com/watch?v=a0MDLrLa2-M

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様

 ロト指揮のYouTubeのご紹介をありがとうございました。最初の運命の動機の速さにびっくりです。ファゴットは違和感があまりありませんでした。
 この度、おかげさまで、ベートーヴェンの楽譜の版について新しく知ることができました。ありがとうございました。ベーレンライター版は、ベートーヴェンの自筆楽譜を基にして新しく作られた楽譜だったのですね。ベートーヴェンの指示を守っているので、速度が速かったり楽器が違っていたりするのですね。ベーレンライター版を使っているというアバド・ベルリンフィルの「英雄」のCDを聴いてみました。ジンマン・トーンハレほどの軽さは感じませんでした。ジンマンより1分ほど長い、ということもあるかもしれませんが。ジンマン・トーンハレの「英雄」は、メロディーの音の流れが分断されていて、それぞれにアクセントがつけられている、という箇所がよく出てくるので、それが活きのよさ、軽快さ、思い切りの良さにつながっているのかな、と思いました。どこかで「ジンマンはベーレンライター版ではなく、自分独自で研究したことをもとに演奏していて、それが概ねベーレンライター版と一致していることがわかったのでベーレンライター版を使い始めた」と読んだのですが、「英雄」はジンマン版で演奏されたのでしょうか。重箱の隅で申し訳ありません。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様
すいません、いろいろ書きながら、僕自身あまり版の問題を煩く追及していなかったので、ジンマンの録音が「世界初のベーレンライター版」とう触れ込みをそのまま信じていたのですが、実際のところは第8番までは自身の研究成果としての録音だそうですね(おっしゃるように、それがたまたまベーレンライター版に近かったということのようです)。ということは厳密には「ジンマン版」です。
以下に詳しいのでご参考まで。
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/edition/index.htm

ベーレンライター社のHPには、ディヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管のことが1行も書かれていない。山江氏のベートーヴェン新校訂版の記述によれば、ジンマン盤は「現代楽器によるベーレンライター版初録音」と銘打っているが、実はジンマンはデル・マーとは一面識もなく、この録音も彼自身の研究による「ジンマン版」と呼ぶべきものであった。ところが第9の録音にあたってはデル・マーの校訂をちゃんと読んで「ベーレンライター版」に従う態度に変わっているという。

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ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様

 詳しく書いてあるホームページをご紹介くださり、ありがとうございました。いろいろと版があるのは、演奏のバリエーションが広がっていいかもしれませんね。現在の様々な演奏を聴いた感想をベートーヴェンにききたいものですが。「ベートーヴェンと話したかった。」とのお考え、同感です! 私はベッティーナ・ブレンターノかドロテア・エルトマンに生まれたかったです。
 それにしても、指揮者が楽譜を研究して、それを音にするなんて、ジンマンはただ者ではありませんね。指揮者冥利に尽きる楽しい作業かもしれません。その演奏が、聴きなれた人のマンネリ化した耳に革命を起こすのだから立派ですね!

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

>私はベッティーナ・ブレンターノかドロテア・エルトマンに生まれたかったです。

そんなことを言う女性を初めて見ました。(笑)
ナカタさんはベートーヴェンに本当にぞっこんなのですね!(気持はわかります)

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