マゼール指揮ウィーン・フィル マーラー 交響曲第6番(改訂版)(1982.9-10録音)

かくして、私の作品を解説を引き受けるあなたのような勇敢なパイオニアが不可欠な次第であります。—
私の《第六》は謎を投げかけるでしょう、それに近づきうるのは、私の5曲の交響曲すべてを受け入れて咀嚼した世代のみでしょう。

(1904年秋、リヒャルト・シュペヒト宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P309

グスタフ・マーラーは常に進歩、発展、向上を指針とした音楽家だったことがわかる。
別に不遜な心構えだというわけでもなかろう。彼の方法にはいつも革新があったのである。

一般大衆がマーラーを理解するのに数十年を要した。時代の一歩も二歩も先を行ったグスタフ・マーラーの先見は、気狂い沙汰のように見えて、実に本質を、真理を衝いていたのかもしれないと今僕は思う。彼にはパイオニア(開拓者)が必要だった。同じく革新者ロリン・マゼールがウィーン・フィルと録音した全集の素晴らしさ。

・マーラー:交響曲第6番イ短調(改訂版)
ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1982.9.30-10.4録音)

第7番などは、マゼールらしい、相当テンポを弄ぶような様子が見られた飛びっきりの秀演(?)に思えたのだが、遊びの少ない、ごく当たり前の、正統派の演奏に初めて聴いたとき少々がっかりしたことを思い出す。
強いて言うならもっと「謎めいた」解釈が僕は欲しかった。こういうスタンダードな演奏だと、仮に前5作を咀嚼せずともこの交響曲自体を受け入れることができるのではないか、そんなことを思った。

ヴィレム・メンゲルベルク宛の手紙。

私の《第六》はまたしても堅い胡桃のようです。我が批評家諸氏のやわな歯では噛み砕くことなどかなわないでしょう。とは言い条、相も変わらず奴さんたちはあちこち演奏会場を漫歩してだらしなく常套を並べています。アムステルダムでの演奏をたのしみにしております。
(1906年10月15日付、ヴィレム・メンゲルベルク宛)
~同上書P331

世間の反応はひどく、相当な邪魔も入ったのだろうと想像する。盟友メンゲルベルクの演奏は一体どんなものだったのだろう、マーラーからは相当な信頼が寄せられていたと見える。翌年の手紙を見れば、それは明らかだ。

ご承知のとおり、あなたのところに行くと単に個人的のみならず芸術上からも大いに自分が高められるのを感じておりますが、申しましたとおり私の《第六》は今年のところは私なしで上演していただくのが至当かと存じます。カウベルはあなたのところまでお送りいたします。なお、あなたがお持ちの総譜(大判)をお送りくださいますようお願いいたします。最終楽章にはあなたのためにはなはだ重要な修正を書き込みたいからです。
(1907年1月17日付、ヴィレム・メンゲルベルク宛)
同上書P332-333

メンゲルベルクは単なる保守的浪漫主義者ではなかった。
マゼールの創造する第3楽章アンダンテ・モデラートの神秘に法悦し、終楽章アレグロ・モデラート—アレグロ・エネルギーコに畏怖の念を抱く。

久しぶりにマーラー漬け。あらためてマーラーの神髄を感ずる日々。

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