遅ればせながら「金子みすヾ」の世界にはまっている。別冊太陽の生誕百年記念特集号も手に入れ、ゆっくりと彼女の詩の世界に浸ろうと考えている。この天才女流詩人のことをいろいろと調べていくと、大正15年、23歳の時に西条八十の推薦を受けて「童謡詩人会」に入会を認められたという。会員には西条他、泉鏡花、北原白秋、島崎藤村など、中で女流では与謝野晶子と金子みすヾの二人のみというそうそうたるメンバーと肩を並べていたということだから、その時点ですでに天下に名立たる詩人として認められた才媛だということがよくわかる。
ともかくこれほど当たり前で、これほどわかりやすく書かれている文章の中に「世の全て」が包括されているのだから大した感性である。金子みすヾのすごいところは「目に見えないもの」までも感性で捉えて言葉で表現したことであろう。日本という小さな島国の、しかも地方の片田舎にいながら地球の裏側まで見据えるような感覚を若くしてもっていたというのは本当に奇跡的だ。ともかくたくさんの方に彼女の童謡を読んでいただきたいと願う。
ところで、与謝野晶子のこと。どうやら今日は彼女の生誕130年を記念すべき日のようだ。手元にあった岩波文庫版の「与謝野晶子自選歌集」をパラパラとめくりながら、パリ旅行中に彼女が書いた歌の幾つかがふと目に入った。
・生きて世にまた見んことの難からば悲しからまし暮れゆく巴里
・旅びとの涙なれどもなごやかに流るるものか夜の巴里に
・巴里なるオペラの前の大海にわれもただよふ夏の夕ぐれ
与謝野晶子の感性はあくまで上層階級のもの。それは決してネガティブな意味ではない。誰もが国外旅行など夢のまた夢であったあの当時、夫鉄幹とあらゆる国々を旅し、見聞きした体感がベースになっているのは明らかで、「目に見えている」事象を捉えて、感性に訴えかける歌を作る。いわば「憧れ」を喚起する歌たちなのだ。現実をそのまま捉えた金子みすヾとは真逆の表現世界・・・。
与謝野晶子の歌に触れ、久しぶりにフォーレの世界を思い出す。
フォーレ:チェロ・ソナタ集
ポール・トルトゥリエ(チェロ)
エリック・ハイドシェック(ピアノ)
若きハイドシェックがトルトゥリエとデュオを組み、録音したフォーレの傑作室内楽。こんなにも洒落てこんなにも高貴な音の世界がほかにあるものか・・・。
トルトゥリエの奏でるチェロの音は悲しい。トルトゥリエの心を支えるハイドシェックのピアノは「憧れ」の音色を響かせる。
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