アバド指揮ロンドン響のロッシーニ序曲集(1972, 75 &78録音)を聴いて思ふ

何も考えず、無心に音楽を聴く。
底冷えする日に、音楽で暖をとる、そんな感じ。

ジョアキーノ・ロッシーニ。
リヒャルト・ワーグナーにあっては、ロッシーニの音楽は、しばしばネガティブな含みを持って語られる。ワーグナーの言は的を射ているが、彼はある意味考え過ぎなのだ。

またベートーヴェンより以前に反復Repetitionの意味に気づいた者はいない。ロッシーニにおいては感覚的な効果を生む反復が、ベートーヴェンにあっては旋律のひとつのかたちをなしている。そこでは楽器編成も、調性も、すべてが関係してくる。
(1870年12月7日水曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記2」(東海大学出版会)P252

否、ベートーヴェンを崇拝するあまりの見解なのかも。比較の対象としてその名を出すほどに(実のところ)ワーグナーはロッシーニを認めていた。

「ドレスデン時代、レッケルに言ったものだ。自分は40までに全作品を書き上げたい。それまでは、あらゆる創造力と密接な関係にある性欲が失われることはないと思うから、とね。レッケルは大笑いさ。そしてこう言うんだ。ロッシーニならわからんでもないが、きみは奴とはぜんぜん違うんだぞ、と」。それからリヒャルトはふさぎ込んだ様子で、こう言い添えた。「年をとるにつれて、つのるのは悲しみばかり。もはや人生という万華鏡にさほど心を奪われることもない。奇蹟もあてにしなくなる。だが、この局面を乗り越えなくてはいけないね。そうすれば、年を経たなりの晴れやかな境地が訪れるだろう」。
(1871年8月20日日曜日)
~同上書P543

ワーグナーの人生は苦悩に満ち、それがまた創造の原動力になっていたことは間違いない。破天荒な性質ではあったが、ロッシーニのそれとはまったく別物だったということだ。ドイツ的なるものとイタリア的なるもの、個性はしばしば環境によって左右されるもの。

能天気な(?)ロッシーニ・クレッシェンド。しかし、実に効果的だ。

ロッシーニ:序曲集
・歌劇「セミラーミデ」序曲(1823)
・歌劇「絹のはしご」序曲(1812)
・歌劇「イタリアのトルコ人」序曲(1814)
・歌劇「イギリスの女王エリザベッタ」序曲(1815)
・歌劇「タンクレーディ」序曲(フィリップ・ゴセット版)(1813)
・歌劇「ウィリアム・テル」序曲(1829)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団(1978.5録音)

確かにロッシーニ音楽には精力絶倫の面影がある。いずれの序曲においてもアバドの指揮は若々しく、そして躍動する。

19世紀前半、ロッシーニの音楽はヨーロッパ中を席巻した。ベートーヴェンが、自身の作品を披露するコンサート(1824年5月23日)の中でまるで異質のロッシーニを採り上げたことで、聴衆が半分も入らなかったと報告する甥のカルルとの「会話帳」が残されている。

満員ではありませんでしたが、第一に大勢の人々が田舎に行ってしまっていたのです。立見席が高いのに辟易した人が大勢いました。だから立見席は全く空席でした。一つには、あなたの収益には関係がないことを人々は知っていたのですが、これは理由になりません(ベートーヴェンのギャランティーは500グルデンと決まっていた)。一つにはロッシーニのアリアに怒って席に入らなかったのです。わたしもそうです。
わたしはロビーに居ました。ひとつには聴衆の反応が聞きたかったのです。誰もあのアリアには憤慨していました。シュタットラー(僧侶シュタットラーは旧派の音楽の代表的人物)のまわりに小さな集まりが出来ていました。満足そうでした。
・・・
あなたの作品は、あんなことをなさったため、ロッシーニの下手な音楽と同じ範疇に入れられてしまうことになります。冒瀆です。
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P137-138

実に興味深い。しかし、僕の記憶では、当時ベートーヴェンはロッシーニの才能を認め、賞賛していたはずではなかったか。とすると、「会話帳」の言葉はあくまで甥カルルの独断と偏見に過ぎないということなのか。

ロッシーニ:序曲集
・歌劇「セヴィリアの理髪師(または無益な用心)」序曲(1816)(1972録音)
・歌劇「チェネレントラ、または真心の勝利」序曲(1817)(1972録音)
・歌劇「泥棒かささぎ」序曲(1817)(1975録音)
・歌劇「アルジェのイタリア女」序曲(1813)(1975録音)
・歌劇「ブルスキーノ氏、または冒険する息子」序曲(1813)(1975録音)
・歌劇「コリントの包囲」序曲(1826)(1975録音)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団

アバドの棒による古い方の序曲集も鮮烈な音楽に満ちる(70年代のアバドの音楽は特に素晴らしい)。
ワーグナーの言う、まさに「感覚的効果」の宝庫。軽快に、小気味良く、そして前向きに。
ここには大いなる「歌」がある。

 

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