勢い良く降る夕立を窓外に眺めながら、自分というものを振り返ってみる。
父の昨日のブログ記事を読んでいて、何と僕が保育園に入園する時期にピアノを習わせようとしていたのだと。仮に無理やりであっても3歳や4歳からもしもピアノを弾いていたなら、その後の僕の人生はどのように変化していたのだろう・・・。今となっては「どうしてそのようにしてくれなかったのか」と、残念極まりないがそれも運命。せめてこのブログを通じて音楽の素晴らしさというものを多くの人に伝えたいとあらためて思う次第(「早わかりクラシック音楽講座」についても本来はそういう想いが前提で始めたことなのに、いつの間にか軸がぶれてしまっていたよう。いずれまた再開するときには自分の真の想いからずれないように進めたい)。
アルビノーニのアダージョの、とことん切なく哀しげな旋律を真正面から受け留めると、悲しみにまみれた心の中がスーッと楽になってゆくという。音楽の効用というのは計り知れない。何百年も前のヨーロッパで生み出された音楽が、何世紀かを経た極東の地においても、人々に素晴らしい波動を贈ってくれるのだから、クラシック音楽愛好の趣味は何とも止められないというもの。不滅である。
その後に続く、パッヘルベルのカノンはもはや定番。もう何度繰り返し聴いたことだろう。特別に思い入れのある演奏はパイヤールが60年代に録音したものだが、1990年に再々録音した音盤も、選曲の妙といい、楽曲の隅々までを完璧に熟知した堂々たる演奏といい捨て難い。部屋の空気が一瞬にして円やかになる。そして、やっぱり心の持ちようをニュートラルに指し示してくれる。
パイヤール最高!!
おはようございます。
パイヤールについては同感です。良質のリマスター盤も出てきましたし、再評価する声も多くなりましたよね。みんなオリジナル楽器派による色気が少なく画一的な演奏に飽き飽きしたっていうのも大きな理由だと思っていますが。
>もしもピアノを弾いていたなら、その後の僕の人生はどのように変化していたのだろう・・・。今となっては「どうしてそのようにしてくれなかったのか」と、残念極まりないがそれも運命。
何かを得るってことは、何かを失うこと。
もしもピアノが弾ける岡本さんだったなら、愛知とし子さんと結婚することも出来ず、いや、それどころか出逢うことさえなかったかもしれませんよ。
この前、ニーチェ先生に話を伺う機会があり、その時岡本さんの話題になり、先生は、
「何回何十回生まれ変わっても岡本浩和君はピアノは駄目じゃろうし、何回何十回生まれ変わっても岡本浩和君は愛知とし子君と結婚するじゃろうし、何回何十回生まれ変わっても岡本浩和君は岡本浩和君をやっておるじゃろうな(爆笑)」
っておしゃってましたよ。
※下のCD、先日初めて聴いたのですが、迷いが無く精悍なフォルムの名演で、じつに素晴らしかったです。自信と勇気をもらえましたよ。
R.シュトラウス:『ツァラトゥストラはかく語りき』 スタインバーグ&ボストン響
録音:1971年 ボストン
http://www.hmv.co.jp/product/detail/756827
>雅之様
おはようございます。
>何かを得るってことは、何かを失うこと。
確かにそうですね。ニーチェ先生の言葉も身に沁みます(笑)。
ご紹介のCDは未聴です。
「自信と勇気をもらえましたよ。」という言葉にひかれ、ぜひとも聴いてみたいと思います。
ありがとうございます。
[…] こういう体験の時に決まって頭の中に鳴り響くのはパッヘルベルの「カノンニ長調」。 今夜は、僕の「カノン」コレクションの中でもとっておきの一枚を。 […]