1866年に第5楽章を除いてようやく完成を見たこの作品の初演は、68年4月10日、北ドイツのブレーメンの大聖堂で、作曲者自身の指揮でおこなわれた。この時、長途バーデン・バーデンから駆けつけたシューマン夫人クララを始めとする大勢の友人、知人、さらに大聖堂を埋め尽くした二千余の聴衆は、涙するほど感動したという。
~井上太郎著「レクイエムの歴史—死と音楽との対話」(平凡社)P227
確かにこの作品は誰がどんな演奏をしてもどこか湿っぽい。
僕が思うにこれは単に鎮魂ではないのだ。そこにあるのは、おそらくヨハネス・ブラームスの師や父母への感謝の思念。捨て身で事に臨むなら、必ず開けるのだと彼は言う。
栄枯盛衰は大自然の摂理。
人みな草のごとく、栄光また花のごとし。
草は枯れ、花は落つ。
(「ペトロの手紙一」第1章第24節)
過剰な固執から逃れられれば本来誰もが救われるもの。
まるで生きているように愛らしかったとは!
すべてはやはり性善説なのだと思う。
寝床の中で母はかすかに姉を呼び、手を握ったりできましたが、やがてすやすやと眠りに落ちてしまいました。それから発汗し、臨終は次の夜の二時でした。フリッツが電報をよこしたので私は土曜日の早朝ハンブルクに着きました。弟は死んだとは知らせてくませんでしたが、私は母の死をすでに予知しておりました。昨日の午後一時に埋葬いたしましたが、死に顔は少しも変わらず、まるで生きているように愛らしゅうございました。
(1865年2月6日月曜日付、ブラームスよりクララ宛)
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P147
マルティン・ルター訳による新旧約聖書からの「ドイツ・レクイエム」は、ブラームスの敬虔なる信仰心の賜物だ。
・ブラームス:ドイツ・レクイエム作品45
クリスタ・ゲーツェ(ソプラノ)
ヴェルナー・レヒテ(バリトン)
ミシェル・コルボ指揮ローザンヌ声楽&器楽アンサンブル(1989.9.24Live)
フリブール音楽祭でのライヴ録音。
数年前、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで聴いたバッハの「ヨハネ受難曲」BWV245を思った。ここでもコルボは、必要以上に没入するのではなく、極めて冷静沈着な、客観的な姿勢で音楽に臨む。あわせて、ソプラノもバリトンも過剰な感情移入を避ける。唯一合唱だけがある意味気を吐くのだ。
長大な第6楽章「われらここには、とこしえの地なくして」での解放!
ラッパ鳴りて死者は朽ちざる者に甦り、我らは変えられん。
(「コリントの信徒への手紙」第15章52)
何という美しさ。
第7楽章「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」の静謐さ、荘厳さ。
囁くような合唱の透明さ。ミシェル・コルボが祈る。自然の流れに委ねるが良い。
やさしいお母さまの思い出が、最近の不幸な数か月のできごとのために、あなたにとっていっそう悲しいものにならなくてはならなかったことを、私も深く悲しく思います。でも、人情の常としていつかはそれらを遠景に押しやって、昔の楽しい日々の想い出だけが残されるように私は切に切に望んでおります。
(1865年2月8日付、クララよりブラームス宛)
~同上書P148
クララ・シューマンの母性、そして、愛。