ヨッフム指揮バイエルン放送響 ブルックナー第2番(1966.12録音)ほかを聴いて思ふ

とても人間的な響き。
それは温かいという表現に相当しよう。音楽はどの瞬間も動的で、その意味では時にこせこせした印象を拭えない。多少の「恣意」があるのか、幾分人為的な表情が気になるが、それは指揮者の解釈ではなく、録音場所や録音方法によるものなのかもしれない。

オイゲン・ヨッフムのブルックナーには「動き」がある。そこには、堂々とした、重心の低さは見られない。しかし、自然と一体となった呼吸は、ブルックナーの神髄を正しく捉えたもので、まったく違和感がない。

ルカ教会でのシュターツカペレ・ドレスデンとの交響曲第2番ハ短調。
その外観は、14年前の旧録音と基本的に変わらない。激しい心情吐露を伴った第1楽章モデラートの大宇宙の雄叫びや、第2楽章アンダンテの筆舌に尽くし難い風光明媚な大自然の直接の声、あるいは、第3楽章スケルツォの土俗性、そして終楽章の生命力、それらは間違いなくアントン・ブルックナーへの共感に溢れたもので、すべてがヒューマニスティックなのである。老境の指揮者の生への希求と謳歌。

・ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(1877年稿)
オイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1980.7録音)

一方、ミュンヘンはヘラクレス・ザールでのバイエルン放送交響楽団との交響曲第2番ハ短調。
何と神々しい響きよ。それは気高いという表現に相当しよう。音楽はどの瞬間も静的で、あまりに自然体。作曲者の深層を捉え切り、心と一体となった奇蹟。外観はそっくりでも、果たして録音場所やオーケストラ、あるいは時期が違えば、同じ指揮者でもこうも印象が変わるのかと感じられるほど。ここでのヨッフムは、天意に則って音楽を紡ぎ出しているかのよう。第1楽章モデラートは、金管群の咆哮においても決してうるさくならない。最良は第2楽章アンダンテの得も言われぬ詩情。また、第3楽章スケルツォの愉悦、そして終楽章の推進力と縦横無尽に拡散されるエネルギー。

・ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(ノヴァーク版1875/76稿)
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団(1966.12録音)

音楽が時間と空間の再現芸術であり、ひとつとして同じものが存在しないことを、そして、人間の感性や感覚が日々移ろうもので、常に一定でないこと、それがまた機微を生むのだということをあらためて思う。同曲異演の面白さ。

だが何と言っても、大地に接して生きる彼がこの上なく偉大な高揚を見せるのは、自然をめでる時である。自然がことのほか美しく、また偉大でさえある国に生きるという幸せを彼は十分に活用しているのだ。彼はこの点でもロマン派に接近していると言えよう。あらゆるロマン派の作曲家同様、彼もまた、そこから霊感の最良のものを引き出し、それを作品に書き写すのである。
(G.カルス/樋口裕一訳「ブルックナーの独自性」)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P160

なるほど、ヨッフムのブルックナーに共通するのは自然を愛でる浪漫の心だ。
どんな解釈だろうと、作品に通底するその心が、僕たちに感動を喚起する。

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