唯一の不愉快な瞬間は、全てが終わった時だった。最後のソナタを弾き終わった後は身を捻られるような苦痛を味わった。
(スコット・ロス)
始まりがあれば必ず終わりがある。
しかし、終わりは終わりではない。終わりはまた始まりでもあるのだ。
どの時代に、また、どこで生まれるか。
実に難題だが、今この世にあって自らの境遇の幸せを思う。
スコット・ロスのスカルラッティを聴いて思った。人生の選択が必ずしも容易でなかった時代においても、才能あらばチャレンジするチャンスは数多に与えられていた。やるか、やらぬか、すべてに試されるのは勇気と愛だ。
我が息子ドメニコは、彼と小生への殿下の深遠なるご配慮に想いを致し、このうえない忠誠心をもって、彼とともに謹んで殿下の足下にひれ伏し申し上げます。私はドメニコを強制的にナポリから引き離しました。ナポリではまだ彼の才能を生かす余地はあったものの、かの地はそれにふさわしい場所とはいえなかったからです。私はローマからも彼を引き離すつもりでおります。というのもここローマにも音楽を擁護する場所はなく、音楽はまるで物乞いのような状態に置かれているからです。わが息子はその翼が十分に成長した鷲であります。彼は巣の中で無為に過ごすべきではなく、私も彼の飛翔を妨げてはならないのです。
(1705年5月30日付、アレッサンドロよりフェルディナンド・デ・メディチ大公宛)
~ラルフ・カークパトリック著/原田宏司監訳・門野良典訳「ドメニコ・スカルラッティ」(音楽之友社)P35
いかに天分を生かすのか?
父の尽力なくしてドメニコはなかった。同時に、パトロンなくしてまた彼の作品もなかった。
スコット・ロスのハープシコードが弾ける。
これほど生き生きとし、また軽快でありながら、一つ一つの作品が奥深く表現されたケースがあろうか。すべてが身に、あるいは心に沁みる。