
ローマ「指環」の「ワルキューレ」を聴くと、最後のスタジオ録音がいかに生温いものかがよくわかる。否、生温いのではなく、ライヴのフルトヴェングラーが命を懸けて作品を再生しているのだということが明らかに見えるのである。

熾烈な、鬼神が乗り移る第3幕の興奮。
ワーグナーの音楽がこれほどまでに生き生きと、かつ魔性を伴って再現される様子は、それこそワーグナーなどそれまで振り向きもしなかったローマの聴衆にどれほどの衝撃を与えただろうことか、とにかく「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」のすごさをあらためて知らしめられる一世一代の演奏に感激する。
しかし、一層すごいのは第2幕。
神々の長といえど、いかにも人間っぽいヴォータンと、妻や娘たちとの醜い駆け引きは、もはや「黄昏」の入口に立っている証左だろう。ここでのフルトヴェングラーの生み出す音楽は、人間の浅はかさ、疑心暗鬼のオンパレードで、そこには慈悲も愛も何もない。
しかし、唯一、ブリュンヒルデのみには慈愛の心が残っていたのだ。
楽劇の頂点の一つを形成するフルトヴェングラー渾身の第4場。
ブリュンヒルデ
あなたの心を苛む苦悩はわかります。
英雄であるあなたの神聖な苦しみを感じます。
ジークムント、あなたの妻を私に委ねなさい。
私が彼女をしっかり守ります!
ジークムント
私以外の誰も、この清らかな女性に生きているうちは触れてはならぬ。
私が死なねばならぬなら、
その前に私が彼女を気絶させ殺そう!
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集2―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P84
「神々の黄昏」の「自己犠牲」につながるブリュンヒルデの決死の覚悟。
ここから終場に向かい、そして第3幕の熱狂に至る時間はこの世のものとは思えぬ(ワグネリアンのための)恍惚の時間だ。(ローマの聴衆が実に羨ましい)
コンサート形式で1幕ずつ、1ヶ月に及ぶアウディトリオ・デル・フォーロ・イタリーコでの記録は空前絶後。70余年前の放送局の古い録音にもかかわらず、音楽の生々しさとうねりはフルトヴェングラーのワーグナーの素晴らしさを目の当たりにさせる。
終曲に向かって(獰猛な)生き物のように蠢き、慄き、炸裂する(ワーグナー×フルトヴェングラーの)音楽の力に僕は言葉を失う。









