リヒテル・イン・イタリー(1962.10Live)を聴いて思ふ

1962年のイタリア演奏旅行の際に録られたものだという。
気のせいか、ロベルト・シューマンのメランコリーが随分和らぎ、明朗快活な、陽気な音調に支配されているようだ。

シューマンの《幻想曲》だって? あれは、こおろぎの巣だ。なんとも忌まわしい。
弾き方なら心得ている。いいかい、半分目を閉じて弾くんだ。賭けをしないか? 明るいところで十回弾いたあと、暗闇で弾けるかどうかを。

ユーリー・ボリソフ/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P27-28

リヒテルにとってシューマンの音楽は決して得意なものではなかったのかも。
実際、シューマンの「危うさ」は(良い意味でも悪い意味でも)随分スポイルされていると言える。

リヒテル・イン・イタリー
シューマン:
・パピヨン作品2(1829-31)
・ピアノ・ソナタ第2番ト短調作品22(1833-35/1838)
・幻想的絵画「ウィーンの謝肉祭の道化」作品26(1839)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)(1962.10.15&21Live)

ソナタ第2番ト短調作品22。前のめりの第1楽章ヴィヴァーチッシモに対し、第2楽章アンダンティーノは、シューマンの愛らしい抒情を見事に表現した、ためのある優れた演奏。第3楽章スケルツォの、激しい打鍵による爆発もリヒテルならでは(何と芯の強い音)。そして、改訂によって差し替えられた終楽章ロンド、プレストにおけるパッションの猛烈な発露!聴衆の感動の拍手喝采が映える。
最後の「ウィーンの謝肉祭の道化」の(全編を覆う)賑々しさは、シューマンの内なる鬱状態の裏返しのような気配で、正直気持ちは良くない。

私の父は20歳頃、ウィーンに暮らしていた。それから、私のウィーン・デビューは62年だった。それが大失敗でね。演奏会の1曲目は何だったと思う? 《ウィーンの謝肉祭の道化》だ! だから個人的なことはすべて隠されていた。仮面のおかげでね。喜歌劇《こうもり》の第2幕によく似ていた。仮面とは、すなわち、欺瞞なのさ。みな彼らが見せかけたい顔とは違っている。
なかほどの部分には—エゴン・シーレのスケッチが隠されている。ロシアでは、シーレはまったく知られていないが、20世紀初頭のウィーンを見事に描いた。クリムトやココシュカとはまったく違う。

~同上書P28-29

シーレが隠されているというのは、リヒテルの観察眼と言うのか、比喩の力の凄まじさ。
僕はとりわけ第4曲「インテルメッツォ」を好むが、リヒテルはここにゴッホの「ひまわり」を、それもシーレによってより洗練された「ひまわり」を発見するという。ここでのシューマンの狂気の角がすり潰された「洗練」は、実に心に優しい。終曲の晴れやかな興奮がまた、音楽に花を添える。

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