キルステン・フラグスタートによるグリーグの歌曲集「山の娘」。
ジョン・カルショーのプロデュースによる録音では、彼女は自由に伸び伸びと自身の歌唱を披露しているように思われる。
このころ、キルステン・フラグスタートがロンドンに来て、ハムステッドのスタジオでデッカへの初録音となる歌曲集を録音した。私は居合わせなかったが、どうやらそのセッションは楽しいものではなかったらしい。この推測が当たったのかどうか、ともかく彼女はヴィクター・オロフの手法を好まず、私が以後の彼女の全録音—一つだけ重要な例外があるが—を担当することになった。
彼女への賞賛の思いは、戦後にコヴェント・ガーデン歌劇場の舞台で、初めて彼女を聴いたとき以来、ずっと変わらなかった。そして1956年に最初に一緒に仕事をしてからは親しい友人となり、それは1962年11月に彼女が亡くなるまで続けることができた。
初めて会ったのは1956年3月、彼女が生涯最後にブリュンヒルデを歌った《神々の黄昏》の放送録音のテープを聴くために、オスロに行ったときである。
~ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P182
音楽というもの、芸術というもの、それに関わるすべての人々との信頼とつながりがやはり多大な影響を与えるのだろうと思う。
オロフの方法がどんなものだったのかはわからないけれど、還暦(!)のフラグスタートの歌唱そのものはどんな状況であれ、悲しくも美しく、また官能的だ。ただし、緊張の解き放たれた、彼女が一層の大らかさでグリーグの作品を歌う様子は確かに傑作「山の娘」の方が上々だ。
愛した男に裏切られるも、最後は太陽の光の下で夢見、そして忘れんと意志を固める様子が、それこそ酸いも甘いも経験した晩年のフラグスタートであったからこその表現。何とも感動的。