陽気でふくよかな音。
常に抑制の利いた、気品を備えた高貴なベートーヴェン。
戦争が間近に迫る不穏な空気を醸す欧州にあって、フェリックス・ワインガルトナーの奏する音楽は優雅なのだが、それがかえって聴く者に悲哀と憂鬱を喚起する。
晩年(1819年)の、最早完全に聴力を失くしたベートーヴェンの、いわば余興音楽「11のウィーン舞曲」。各々1分ほどの音楽は、ワルツもメヌエットもレントラーも、何て柔らかく素朴な音なのだろう。これほどリラックスした雰囲気であるにもかかわらず、どこかに社会情勢を反映した緊張感の潜むことが(ある意味)録音のマジックだろう。
彼は古典形式の気品と清澄を持ち続けたことで、指揮の歴史のなかでけっして忘れられないだろう。
フルトヴェングラーによるワインガルトナー評はとても的を射ている。
一切の無理のない、自然と一体になったというと大げさかもしれないが、古い録音から浮かび上がる「静けさ」は、感情の揺れ、心のぶれがない、大きな器によって創造されたものであることを想像させる。何と、泣く子も黙る「ハンマークラヴィーア・ソナタ」の、ワインガルトナー自身による管弦楽編曲版(1926年)の崇高な音!!特に、第3楽章アダージョ・ソステヌートを聴いて涙せぬ者があろうか!ポルタメントの利いた弦楽器のうねりと、管楽器の祈りの微かな咆哮。再現部以降の思念の深い官能が堪らない(コーダの深遠さ!)。そして、終楽章主部アレグロ・リゾルートの巨大なフーガの爆発的エネルギーは、管弦楽版ならではの力強さ(願わくば実演で聴いてみたいところ、それが無理ならせめて最新録音で)。
3番目の妻であったルシール・マルセルを独唱に据えての自作2曲は、ワインガルトナー初録音のラッパ吹き込み(何と1910年!)。ラッパ吹き込みならではの、激しい針音であるにもかかわらず、鑑賞に耐え得る古のアトモスフィアが感傷を誘う。スケルツェティーノは(余程お気に入りの作品だったのだろう)2種の録音が収められる。また、間奏曲「フェルディナンドとミランダ」は、甘美かつ回顧的な音調で、このあたりからもワインガルトナーの音楽的趣味の上品さが伺える逸品。