何年もの歳月をかけての推敲は、素晴らしい完成品を生むものだが、そこに至るプロセスの苦悩は計り知れないものがあろう。
ヨハネス・ブラームスが交響曲第1番を仕上げるのに精進していた頃、彼の生活は公私ともにとても充実していたそうだ。何よりクララ・シューマンとの良好な関係は、彼のモチベーションに一層火をつけたことだろう。
私どもの旅行は好都合でしたが、素晴らしいシュヴァルツヴァルト地方の旅は降られどおしでした。当地に着いた日はよい天気でしたが、その後また3日間降りつづけました。当地はしだいに気に入ってまいります。第一に森の散歩道が豊富な上に、すべてが簡単で静かなのです。空気は素晴らしく、それだけでも滞在の価値があります。
(1875年7月23日付、クロスタースよりクララからブラームスへ)
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P215
手紙の行間からはクララの幸福感が伝わる。
また、クララの、1875年5月23日付日記には次のようにある。
ブラームスの新しい弦楽四重奏曲をヨアヒムが演奏して聴かせてくれた。ひじょうに驚くべき曲だ。・・・ヨアヒムは、これをひそかにもってきたのだった。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー7 ブラームス」(音楽之友社)P218
関係の質が結果の質を左右することの根拠を垣間見るようだ。
ブラームスの変ロ長調の弦楽四重奏曲は、確かに非の打ちどころのない名曲である。
特に、終楽章ポコ・アレグレット・コン・ヴァリアツィオーニの、第8変奏で第1楽章第2主題が姿を見せ、コーダで第1楽章第1主題が回想され、巧妙に絡むシーンは格別なる感動を喚起する。
初期のアルバン・ベルク四重奏団の演奏は、鋭利で冷徹な現代的センスの「側」と、内なる「温和な感情」の混在が特長的。ここにあるのは、まさにブラームスの内なる愛であり、それを、ベートーヴェンを演奏する時のように、いかにも堅牢な様式でシンプルに紡いでいる点が見逃せない。
一方のドヴォルザーク晩年の四重奏曲は、旋律家ドヴォルザークの真髄を示す宝庫であり、どの楽章のどの瞬間も実に心に沁みる。例えば、第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポには、ボヘミア的哀愁と安寧、同時に、アメリカでの生活から得たであろう自由で開放的な音調があり、極めて動的で美しい。
第3楽章モルト・ヴィヴァーチェの喜びと優しさ、そして、終楽章アンダンテ・ソステヌートの、ブラームスの場合と同じく第1楽章第1主題の回想シーンの飛び切りの懐かしさと感動。
初期アルバン・ベルク四重奏団の絶妙なアンサンブルと、しかし、決して機械的ではない心のこもった音楽に僕はいつも癒される。