ブッシュ弦楽四重奏団 ベートーヴェン「ラズモフスキー第3」(1933.11録音)ほかを聴いて思ふ

おまえがここで社会の渦巻のなかに突進するように、できうるかぎりあらゆる社会的な障害に屈せず歌劇を書くようにせよ。おまえのつんぼについてはもはや何の秘密もあるまい。芸術についても。
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(上)」(岩波文庫)P150

ここに聞こえるのは、社会に対する単なる抗いや開き直りではない。
「ラズモフスキー第3」のスケッチ帳の終楽章に書かれているこの言葉は、「レオノーレ」にまつわる信念を貫けと自らを鼓舞するものだが、それ以上にベートーヴェンが、この時期に、自らの魂の声、真我に耳を傾け、それこそ解脱の境地に至ったことを示すものだと僕には思われる。

猛スピードで駆け抜ける、終楽章アレグロ・モルトは、フーガの技法を駆使した崇高な、そして深遠な、悟りのベートーヴェンの見事な顕現だ。

作品59-3では、まず序奏の緊迫した雰囲気から、何か途方もない凄いことが始まりそうだという予感が漂う。その予想通り、主部に入ると、情熱を叩きつけるような激しいボウイングから白熱の極みとも言いたい音像が爆発する。第3楽章までに凝縮されたそのエネルギーは、フィナーレに驚異的なスピードで突っ走っていくフーガで一気に解放されていくが、その際に放出されていく歓喜の熱気は、聴く者にこの上ないスリルと興奮を与えてくれる。ブッシュのベートーヴェンに対する感謝の念はこのフーガで最高潮に達している。
(幸松肇)
~SGR-8512ライナーノーツ

幸松氏の、これほど的を射た表現は後にも先にもないだろう。一切の誇張も妥協もなく、ブッシュ弦楽四重奏団の奏するベートーヴェン作品59-3を言い表している。古い録音だけれど、妙に生々しい、「歓喜の熱気」が聴こえるこのフーガこそ、シラーの「人類皆兄弟」という思想を、交響曲第9番よりもずっと前にベートーヴェンが音化したほぼ最初のケースだと言えまいか。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」(1933.11.10&16録音)
・弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95「セリオーソ」(1932.9.19&20録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアッソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトール(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

一方の作品95「セリオーソ」。緊迫感のある、凝縮された音楽が展開するその背景には、(恋愛含めた)ベートーヴェンの心機一転があるようだ。
ブッシュ弦楽四重奏団の、旧いながら熱を帯びた音調が、楽聖の内燃する思いを見事に表す。

毎日外国人が新しく訪ねて来る。新しい知人、芸術ということに関しても新しい環境が生まれている。むなしい名声で僕は気違いになるのではないかとしきりに思う。幸福が僕を探し求めている。まさにそのことのために僕は新しい不幸に見舞われるのではないかと恐れている。
(ニコラウス・ズメシュカル男爵宛)
~同上書P190

ベッティーナ・ブレンターノへの恋心とともにベートーヴェンの魂は一層真理に接近して行く。

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