「私のいとしい親愛なるドロテア・チェチーリア(音楽の女神)」
「いまお受け頂きたいのは、あなたに何度も与えようと考えてきたもの、あなたの芸術的才能やお人柄に寄せる私の心服の証しであるかもしれないもの、です・・・」
(1817年2月23日付ドロテア・エルトマン男夫人宛)
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P329
ベートーヴェンが、ドロテア・エルトマン男夫人宛に作品101印刷譜を送付した際に添えられたメモ書きの一節である。丁重な言葉の裏に感じられる尊敬と愛の想念。高貴な、得も言われぬ美しい楽想が散りばめられた作品は、ドロテア・チェチーリアに捧げられたが、充実した創造の力とは裏腹に、当時のベートーヴェンの現実の生活は決して順風満帆のものではなかったことが興味深い。
10月15日以来ひどい病となり、その余波にまだ苦しみ治癒しておらず、ご存じのように、私は作曲のみで食べていかなければならないのですが、この病気以来ほんのわずかしか作曲できず、ほとんどまったく稼ぐことができませんので、もしあなたが私のために何かやってくださるのなら大歓迎です。
(1817年4月19日付ニート宛)
~同上書P328
難聴の進行は並大抵でなかったよう。生きることの無情をもう一方で、それであるがゆえに後期の、あの筆舌に尽くし難い崇高な世界が生み出されたことを思うと、現実生活の負の側面が類まれなる創造性に与える影響がどれほど大きいものなのかを痛感する。壁や障害は必要にして必然なのである。
若きエリック・ハイドシェックがアンドレ・シャルランの下、録音したベートーヴェンの後期ソナタ。音が煌き、それでいて重みがあり、例えば作品101など、どの瞬間も優雅で愛情たっぷりの表情で、聴いていてうっとりするほど。
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101
・ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
エリック・ハイドシェック(ピアノ)(1965頃録音)
ハイドシェックは即興性を重視するピアニストゆえスタジオでの録音よりライブ録音にこそその真髄があるように思うのだが、この演奏は、生き生きと十分に即興的で、心から素晴らしいと思えるもの。
宇和島でのレコーディングでは、ライブ盤と聴衆のいないホール録音盤をとったんですが、ホール録音のときもライブじゃないと気分が乗らないと言って、近所の人やスタッフをできる限り集めさせたんです。聴衆が入ると彼のラテン的な血が騒ぎ、予想もしなかった面が出てくるということは充分に考えられます。CDでもライブ盤のほうが好評です。ライブでこそ本領を発揮する人なのではないでしょうか。
(宇野功芳氏×松崎俊行氏対談)
~「エリック・ハイドシェック ピアノ・リサイタル1994」プログラム
ハイドシェックは、出来不出来のはっきりした人。幾度も体験した実演にしても、超絶的な名演奏のときもあれば、吃驚するくらい駄目なときもあった。しかし、不完全こそが人間の本質であり、それゆえの人間的で温かい音楽が繰り広げられる様に僕たちは心から感動するのである。
ところで、親友フランツ・フォン・ブレンターノ宛の手紙によると、最後の3つのソナタは「パンのための仕事」だったそうだが、たとえ生活のための創作であったとしても当時のベートーヴェンの力量は途方もない境地にまで至っていたことが明白。この頃、ベートーヴェンはリウマチを患い、黄疸にも苦しんでいたことを考えるとその天才は間違いなく人間離れしたものだ。
ハイドシェックの弾く作品109終楽章アンダンテ・モルト・カンタービレ・エド・エスプレッシーヴォが素晴らしい。