インバル指揮フランクフルト放送響 ブルックナー第8番(第1稿)(1982.8録音)を聴いて思ふ

私はあなたのご助言を、あなたのお助けをお願いする以外になすすべがありません。手短に言えば、私は第8交響曲のことで途方に暮れているのです。そしてこの曲を演奏する勇気が持てないのです・・・。私はひどく幻滅しています。何日も研究してみました。しかし私にはこの作品をわがものとすることが出来ないのです。評価を下すなどということはとんでもないことです。私が思い違いをしているとか、愚かすぎるとか、年をとりすぎている、ということも大いにありましょう。しかし私には楽器の扱いが不可能のように見えます。そして私をことのほか驚かせたのは、第7番との大きな類似性であり、形式のほとんど型どおりである点です。第1楽章の開始はすばらしいですが、展開部については私にはどう扱ったらよいかわかりません。そして最後の楽章。これは私には閉ざされた書物です・・・。
(1887年9月30日付、ヘルマン・レーヴィからヨーゼフ・シャルク宛手紙)
根岸一美「作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー」(音楽之友社)P121

筋金入りの専門家といえど、簡単には理解できなかった創造物。
誰もが常識という枠の中で考えた結果が、「拒否」だったのである。
それだけ、彼の感性は鋭敏であり、方法は斬新だったのだ。

しかし〈8番〉の場合は、63歳という晩年に完成されたせいか、初稿自体が管弦楽法的には一応こなれたものとなっており、改訂の前と後で、響きの違いはあっても、〈3番〉や〈4番〉のように極端な難易度の差が生じている部分は少ない。〈8番〉の改訂は、もっぱら構成と表現内容に深くかかわっており、特に1楽章のコーダのカットが極めて重要なポイントとなっている。
金子建志著「こだわり派のための名曲徹底分析—ブルックナーの交響曲」(音楽之友社)P21

アントン・ブルックナーが自信をもって世に送り出した最初の稿は、聴けば聴くほど味わい深い代物だ。ここには明らかに宇宙規模の閃きが点在する。交響曲第8番は、ブルックナーの小宇宙が大宇宙とつながっての叡智の結集なのである。

ところで、柳宗悦は「木喰上人」の中で次のような報告をしている。

村の人々は上人が非凡な人であったということを親しく語る。「活き仏」であったとも彼を呼んだ。だが上人を直接熟知する人々は去った。又彼等の子も既に逝いた。上人が佐渡を去ってから、140年近くの時は流れた。時代は移り、事情も変わった。信心が去ったのが何よりも目立っている。村の者は堂を厚く守らない。毎年急月21日に大師会を催すのと、正月23日この堂に籠る習慣が残るばかりである。
柳宗悦「木喰上人」(講談社文芸文庫)P130

この論が書かれたのは1924年8月のことゆえ、それからまた100年近くの時が過ぎていることを考えると、木喰上人に限らず、現代の人々の信仰心などはどこ吹く風というもの。
記憶の風化よりも、意識の風化、信仰の風化ほど危ういことはない。大宇宙、大自然と直接につながる術を失わないことが肝心だ。すなわち思考によって整理されない(型にはまらない)身分の状態、混沌の状態にこそ真実があるのだと僕は思う。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1887年第1稿)
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(1982.8.24-25録音)

あらためて第1稿の価値を思う。第1楽章コーダの、第2稿にはないfffのいかにもブルックナー的壮大なトゥッティ!!また、第2楽章スケルツォにおける曲想異なるトリオの安らぎ。そして白眉は、終楽章コーダの、全4楽章の主題が同時に回想されるシーンでの、突如現れる第2稿にはないppの、ブラックホールの如くの「空(くう)」の引力。ここにこそ僕は、ブルックナーの本性を思う。すべてが奇蹟だ。

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