ベーム指揮バイロイト祝祭管 ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(1968.7.25Live)を聴いて思ふ

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕第1場、ハンス・ザックスは次のように語る。

思い込み!錯覚!
至る所、はかない幻想だ!
どうして人は無益に怒り
とことんまで
自分を痛めつけ苦しめるのか、
その原因を探ろうと、
町の編年史や世界の年代記を
調査・研究しても、至る所はかない幻想だ。

井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集第1巻」P338

靴屋のザックスは自省し、そして、世界を客観視する。彼の審美眼はそれゆえ正しい。そして、最終場において騎士ヴァルター・フォン・シュトルツィングがマイスターの称号を激しく拒絶するのに対し、ザックスはまたこう語るのだ。

マイスターたちを軽んじてはいけません、
彼らの技芸を尊敬してください!
彼らの賞賛や評価が、(今日は)あなたにとって有利だったのですよ。
あなたの今日の最高の幸運は、あなたの先祖、紋章、槍や剣のお蔭ではありません、
それは、あなたが詩人であること、
そして一人の親方があなたをマイスターに昇格させたことによります。
ですから感謝をもってよく考えてください、
そのような賞を授けるマイスターゲザングの技芸が無価値なものだなんて、
どうしてあり得ますか?

~同上書P368

人間の価値は名誉や財産でなく、本性の美しさなのだとマイスターは断言する。
そして、感謝をもって事に当れと言うのだ。

ちなみに、清水多吉は「マイスタージンガー」について次のように分析している。

とくにこの楽劇の第3幕第3場で歌われるドイツ芸術の讃歌は、長い間、民族感情高揚のために強調されてきた。だが、この場面も、もう少しく視点をかえてみれば相貌が一変する。たとえば靴屋ハンス・ザックスと青年騎士ヴァルターとを対比させてみればよい。ハンス・ザックスはマイスターの一人であり、市民階層を代表する。これに対して青年騎士ヴァルターは、おそらく帝国騎士団所属の貴族であろう。ハンス・ザックスらにとっては、騎士どもは戦争にあけくれている連中であり、言うならば無為徒食の連中である。ドイツ精神、ドイツ芸術は、彼ら騎士どもによって担われているのではなく、ハンス・ザックスらマイスターたちによって担われている。少なくとも、マイスターたちにはそのような自覚と自負とがある。であればこそ、「神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)」が滅びても、ドイツの芸術はマイスターたちの手によって生きのびていくことが出来るのだ」と、ハンス・ザックスは歌うことができたのである。この側面を強調すれば、この楽劇は、自由思想の鼓吹とも、いや反戦思想の鼓吹とさえも色づけすることができる。
清水多吉著「ヴァーグナー家の人々―30年代バイロイトとナチズム」(中公新書)P181-182

論の是非はともかく、ワーグナー芸術の懐の深さを、僕は直観する。
晩年の「再生論」を待たずして、すでにワーグナーの内側には人類の危機の自覚と、いかに解脱の道に進むのかという意志が「マイスタージンガー」作曲の時点であったのだ。

・ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
テオ・アダム(ハンス・ザックス 靴屋、バス・バリトン)
カール・リッダーブッシュ(ファイト・ポーグナー 金細工師、バス)
ゼバスティアン・ファイエルジンガー(クンツ・フォーゲルゲザング 毛皮加工師、テノール)
ディーター・スレンベック(コンラート・ナハティガル 板金細工師、バス)
トマス・ヘムスレイ(ジクストゥス・ベックメッサー 市役所の書記、バス)
ゲルト・ニーンシュテット(フリッツ・コートナー パン屋、バス)
ギュンター・トレプトウ(バルタザル・ツォルン 錫細工師、テノール)
エーリヒ・クラウス(ウルリヒ・アイスリンガー 食料雑貨屋、テノール)
ウィリアム・ジョンズ(アウグスティン・モーザー 仕立屋、テノール)
ハインツ・フェルトホーフ(ヘルマン・オルテル 石鹸製造師、バス)
フリッツ・リンケ(ハンス・シュヴァルツ 靴下屋、バス)
ハンス・フランツェン(ハンス・フォルツ 銅細工師、バス)
ヴァルデマール・クメント(ヴァルター・フォン・シュトルツィング フランケン地方出身の若い騎士、テノール)
ヘルミン・エッサー(ダーヴィト ザックスの徒弟、テノール)
ギネス・ジョーンズ(エーファ ポーグナーの娘、ソプラノ)
ヤニス・マルティン(マクダレーネ エーファの乳母、ソプラノ)
クルト・モル(夜警、バス)
カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1968.7.25Live)

2時間近くに及ぶ第3幕を聴く。
全編にわたり、ともかく音楽が生きている。舞台ノイズが余計に楽劇の臨場感を煽る。絶品だ。これを聴かずして「マイスタージンガー」を語るなかれ、そしてまた、カール・ベームを語るなかれ。
特に、第4場での、ギネス・ジョーンズ扮するエーファの歌唱の素晴らしさ。
そして、最終場における、カール・ベームの鬼神が乗り移ったような迫真の指揮に魂までもが熱くなる(ライヴの人ベームの真骨頂)。
鼓舞だ、発揚だ。確かにこの音楽には人の心を煽動する力がある。終演後の聴衆の凄まじい拍手に感無量。

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