私がずっと若かったころ、50歳になればわかるようになるよと言われた。私は今50歳だ。なんにもわかっていない。
エリック・サティ
~エリック・サティ/秋山邦晴・岩佐鉄男編訳「卵のように軽やかに」(ちくま学芸文庫)
僕は今55歳だ。サティがいう年齢をとうに過ぎている。
確かになんにもわかっていない。若い頃、僕はよく「わかった!」を連発していた。「わかった」などという口を軽く叩くなかれ。それこそ僕の墓碑銘でもある。
エリック・サティは時代を何歩も先取りした天才だ。
《ジムノペディ》。学問的な研究によれば、一般に認められているのとは反対に、妖精たちはバラ色の肌着もコルセットもつけていないことが証明された。この最近の業績に着想を得て、学識豊かなルキユー嬢は、オペラ座のために優雅な妖精の本当の衣装を再現しようと、根気よく努力をつづけている。
~同上書P130
ほとんど夢想なのかと思わせる見解だけれど、彼はいたって真面目だ。この空想能力こそがサティの真骨頂。彼は音楽家ではなかった。偶々音楽というものを扱った頑固屋だ。
すべての音楽が新しい。
一世紀の時を超えようと、エリック・サティの選ぶ音は、心底素敵だ。そして、奇を衒ったタイトルが、いかにもセンス満点。
心を込め、形にするチッコリーニの魂が感応する。タッキーノとのデュオ、「梨の形をした3つの小品」を聴きたまえ。これほど知性に呼びかける不思議な音があろうか。
オペラ座でワグナーを上演する・・・というのはいい考えだ。(オペラ座の)〈一般大衆〉はワグナーを知らないのだ、ああ!・・・それを思うと、私のウズラのような眼には涙があふれる。
・・・ルーシェさん、ありがとう!・・・本当にありがとう!・・・お元気ですか?・・・
~同上書P183-184
サティの言葉は、音楽同様いちいち粋だ。
何より扱う(天にも通じるであろう)形容詞の妙。
ワーグナーを憧憬するサティにあって、これほど無機的な(?)音を、しかし柔軟に、そして意味深く奏するチッコリーニは天才だ。なるほど、サティは音楽家ではなかったということを僕は思い出した。