
ベートーヴェンはフリーメイスンの会員ではなかったそうだが、フリーメイスンの会員である友人が多かったようだ。掲げる信条に共感したのかどなのかわからないが、団体そのものよりもやはり一個人に対する興味の結果が偶然そうであったのだろうと思う。
ゲーテにはそれがプライドと感じられたのかもしれないが、ベートーヴェンは、あくまで自分自身をのみ拠り所にした。
ベートーヴェンのパトロンのひとりであったリヒノフスキー侯爵が所有するグレーツの居城を訪れた際、フランス軍も滞在しており、侯爵がベートーヴェンにピアノ演奏を強く迫るが、ベートーヴェンはそれを拒否して、郵便馬車でウィーンに戻ってしまう。その際ベートーヴェンが書き残したと思われるメモが下記である。
「公爵!あなたが公爵なのは偶然と出生がしからしめるものだ。私は自分の力で現在の私になったのだ。公爵は何千と存在しているし、今後もそうだろう。ベートーヴェンは一人しかいないのだ。」
~藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P89
表現の仕方はともかく、ベートーヴェンの言い分は間違ってはいない。
そんな彼が生涯大切にした言葉がフリードリヒ・フォン・マッティソンの「奉献歌」の最終節だ(1817年に元恋人だったテレーゼのマルファッティ家を訪れたが、不在だったので、五線紙に、マッティソンの詩に節をつけ「わが愛するテレーゼへ」と書きおいて立ち去ったときも、この詩だったと推測されている)。
大気に、大地に、火に、水に!
お与え下さい、若い時も、年老いた時も
わが家の炉端で、おおゼウスよ、
善なるものに美をお与え下さい
~同上書P99
ベートーヴェンの志の原点には常にこの言葉(善なるものに美をお与え下さい)があった。
昨今リリースされているレイフ・セーゲルスタム指揮トゥルク・フィルによる一連の「知られざる」ベートーヴェン作品集はいずれも絶品。「シュテファン王」の全貌を聴いてみて、ベートーヴェンにとって劇音楽というのは鬼門だったのだろうか、という印象。残念ながら音楽に深みが不足し、聴く側の集中力が持たない。
ただし、「奉献歌」を含む合唱音楽の(哲学的)清澄さは、新たなベートーヴェンの発見というと大袈裟だが、彼の内なる精神の高揚が確実に転化された音調で、天にも昇るような美しさを持つ。
そして、盟友の歌「すべての良き時に」作品122に示される楽観的愉悦!!
すべてに希望がある。
混沌とした、先の見えない時においても僕たちは希望を失ってはならない。
信じることが大切だ。