11月29日の事件を知りまして以来今日まで、わたしは憂慮と憂うつに悩みつづけて参りました。またマルファッティが芸術家というものはコスモポリタンで祖国はないのだ、とわたしに思い込ませようとしておりますが、そんなことは何に役にも立ちません。たとえそうだとしても、わたしはポーランド人としては20歳をこえてはおりますが、芸術家としてはまだ揺りかごのなかにいる赤ん坊みたいなものでございます。
(1831年1月29日付ワルシャワのヨーゼフ・エルスナー宛)
~アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P114
事件とはワルシャワでの蜂起のこと。
ウィーン滞在中のショパンの自身を責める赤裸々な心情が語られる。
ショパンの音楽には、祖国ポーランドへの愛情と憧憬が垣間見られるが、特にマズルカには言葉で表現できない寂寥感すら漂い、それがある種侘び寂の気を醸し、時に聴く者の心、魂に訴えかけるほどの名演奏を生む。ピアニストは、マズルカによって真の力量を試されるのではないかと思われるほど、マズルカとは深遠な音楽である。
ジャン=マルク・ルイサダの弾くマズルカは、独特の遊びがあり、また同時にショパンの祖国への心情や思いも刻まれ、どの瞬間も本当に心をワクワクさせる力が漲る。
ショパンの曲を弾くためには、とても暖かくロマンティックな音色で、極めて「古典的」に演奏する必要があります。なぜならば、彼はバッハやベートーヴェンを愛していました。彼のテーマは大変シンプルでいて、ハーモニーは豊かで、不思議で、あいまいで、そして複雑なものです。結論として、彼の曲を弾くならば、「シンプルさ」というものを非常に意識して弾かなければいけません。これはとても難しいことではあります。私たちは、シンプルさを探し求めて一生を費やすことが出来るくらいですから(笑)。
~「ジャン=マルク・ルイサダ 愛する日本とショパンについて大いに語る」
ショパンには「シンプルさ」がキーワードだとルイサダは言う。
彼の演奏が実際「シンプルさ」を追求したものだとするなら、彼はやっぱり天才だ。
例えば、イ短調作品17-4の、胸の詰まるような憂愁に僕は思わず感涙。
ショパンは何て美しい音楽を書いたのだろう。また、ルイサダは何て思い入れたっぷりの表情を見せる演奏をするのだろう。
1833年から4年にかけて、ショパンの生活は、少なくとも外側から見る限り、順調に進んでいた。33年にはベルリオーズ主催の音楽会にリストとともに出演し、35年にはメンデルスゾーンの招待でライン音楽祭に参加するなど、彼の活動は幅をひろげ、それにつれて音楽家としての名声も上り、交友関係もひろがる。その作品もリストなどのピアニストの演奏会でしばしばとり上げられるようになり、音楽学校の教材としてもつかわれる。
~遠山一行「カラー版作曲家の生涯 ショパン」(新潮文庫)P111-114
どれほど名声を獲得しようとも、自身の内面を他人に明かすことを嫌ったショパンは、やはり孤独だったと思う。煌めく楽想の内側に秘めた哀感こそ孤独の象徴であり、マズルカにこそ孤高の美しさが刻まれるのだ。
ルイサダの奏する変ロ長調作品7-1の、弾ける愉悦に垣間見える孤高が素晴らしい。ちなみに、全曲軽井沢は大賀ホールでの録音。