たとえそれがどんな演奏であろうと聴く者に必ず興奮を与える音楽がある。
例えば、ショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調作品47。ドミトリー・ショスタコーヴィチ起死回生の一撃がここにはある。あまりに出来過ぎていて、劇画的で軽薄だという物言いもあろうが、混沌から解放へ、闘争から勝利へというベートーヴェン以来の格好のモチーフを武器にしての4楽章の交響曲は、やはり素晴らしい。
第1楽章モデラート—アレグロ・ノン・トロッポの抑圧の苦悩。
第2楽章スケルツォ(アレグレット)は、束縛の中のお道化た舞踏。そして、第3楽章ラルゴの悲壮感とうねりに感応し、終楽章アレグロ・ノン・トロッポの勝利の凱旋に魂が弾けるのである。
オレグ・カエターニの演奏は、あまりに壮絶かつ劇的で、まるで生き物のようだ。
聴き終えて、否、聴いている最中から心が、また魂が震える。そして、身体が躍る。この際、ショスタコーヴィチの言葉を挙げるのは止そう。当時のソヴィエト連邦の、あるいは取り巻く世界の状況、社会情勢も横に置こう。
なぜなら、純粋に絶対音楽としてこの曲を耳にしたときこそ一層感動的ゆえに。
猛烈なスピードと絶妙なタイミングのブレーキと。
あくまで自然体、流れに委ねることだ。
聴衆の熱気と歓呼に、これは屈指の名演奏であると思う。