ブーレーズ指揮BBC響 ブーレーズ プリ・スロン・プリ~マラルメの肖像(1981.11録音)

世間から言わせると、彼は気狂いだった。
彼の表現はいつどんなときも難解だった。

今まで見たことがないほど穏やかでしかも気違いじみており、その散文も詩も全く意味不明である。
(1871年6月22日付、ルコント・ド・リールのエレディア宛書簡)
「マラルメの現実参加」
ジャン・ポール・サルトル/渡辺守章・平井啓之訳「マラルメ論」(ちくま学芸文庫)P100

当の本人は至って真面目だ。

彼はといえば、穏やかで悲惨なまま、妻と幼い娘との間で、できる限り端然と生き、さし真面目に考えもせずにその職務を果し、適当に〈半世紀の悪〉に苦しんでいる。「ぼくは余りに生気がないので、頭は胸に垂れ下がってしまうほどだ。まるで老人のように地面を這っている。ぼくは死人だ、屍だ。理念的なものへの病的執着は、ぼくが願い夢見ている倦怠さえもぼくには残してくれぬ。ぼくは倦怠の不能者なのだ。
~同上書P102

世間と自身とのあまりの乖離に絶望したが、残った創作物は世界を感化した。

一人になるや、一息つくや否や、「絶望した偏執狂」のように、彼は紙にとびかかる。しかし、何もやっては来ない。いや、ほとんど何も。実を言えば、この不能力は時代に固有のものだ。しかし他の詩人たちは、何とか折合いをつけている。彼のほうは、それに苦しみ、絶望する。彼の言葉を聞いてくれる者に向かって、彼は叫ぶ、「ぼくはついに一個のアマチュアに終るだろう!」と。あるいは「詩句については、もうぼくはおしまいだ」とも。
~同上書P120

ステファヌ・マラルメの天才は、いよいよ開く。

このような、期待と失望の、自己破壊的肯定と肯定的否定との錯綜した遊戯から、後に彼は知覚の一つの技法を引き出すことができよう。それは彼が、「外界のもたらす危険に満ちたものを、生来の天啓によって埃を払う」(「二十歳の理想について」)と呼ぶものだ。しかしこの天啓とは、彼が〈存在〉のなかに挿入されていること以外の何であろうか。
~同上書P147-148

サルトルの見解は、このように導かれ、狂った天才の存在を世界に肯定させるだけの力を持つようになったのである。

ピエール・ブーレーズは、マラルメの「ベルギーの友たちの想い出」に触発され、マラルメの方法を音化するべく「プリ・スロン・プリ」を生み出した。そして、幾度もの改訂を経て、その音楽は見事に成長していった。

漂う如く はたまた証拠を みずから もたらしはせぬかに見えて
ただ古の 薫りに代えようものと 時間を蒔く
我ら遥かの古より ここにいる幾人か いかにも心足りたはず
忽然と生まれたる 我らの新たなる 友情に 思いを馳せて

「ベルギーの友たちの想い出」
渡辺守章訳「マラルメ詩集」(岩波文庫)P112

・ブーレーズ:プリ・スロン・プリ~マラルメの肖像(1957-62/82/89)
フィリス・ブリン=ジュルソン(ソプラノ)
ピエール・ブーレーズ指揮BBC交響楽団(1981.11録音)

エキゾチックな第4曲「マラルメによる即興曲III」にいつしか僕は恍惚となる。
そして、第5曲「墓」の神秘なる大音響に心が揺れる。
まるで狂ったような音の流れに身を任せ、実際目の前で叩かれる音の連なりに僕たちはステファヌ・マラルメの狂気を垣間見る。これこそ彼が〈存在〉の中に挿入された瞬間だ。

一昨年の秋、サントリーホールで聴いた実演は圧巻だった。
静謐と爆発の交替に僕はピエール・ブーレーズの天才を思った。
狂気というより混沌からの見事な調和。20世紀の傑作だ。

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