ハーヴィスト カールストレム グリーンロウ セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン 三重唱「不信心な者よ、おののけ」作品116ほか(2017.9録音)

後世の研究者たちがこぞって騙され続けた(ベートーヴェンの秘書と名乗った)アントン・シンドラーの言説を悉く排除せんと、大崎滋生さんがベートーヴェン像「再構築」に奮迅されている。先般、歴史的(?)大著「再構築」に続く、「史料で読み解くベートーヴェン」が発刊されたが、大崎さんの止まることのない楽聖への愛情の深さ(?)に感嘆し、同時に、ベートーヴェンが一音楽家として現実に生活をしていた「事実」を目の当たりにでき、実に面白い。

若きベートーヴェンは、“旅する音楽家”であった。1787年の“第1回ヴィーン旅行”は、21世紀初頭まで「母危篤の報により2週間で終わった」と信じられてきたが、実は5ヵ月近くに及んだ、見聞を広げるための”武者修行“と言うべきものであった。道中バイエルンでのピアノ演奏は大きな注目を浴びたと思われる。1792年11月からのヴィーン定住後も、プラハ・ドレスデン・ベルリン旅行(1796年前半)ではかなりの収益を得たし、その後もブラティスラヴァ(1796年11月)、プラハ(1798年10月)旅行を通してピアノ・コンチェルト第1番/第2番が彫琢されていった。師ハイドンの支援を受けて宮廷激情を借り切った1800年4月2日の第1回主催コンサートはその延長線上にあって、第1シンフォニーの初演もあったがピアノ即興演奏も披露し、音楽家ベートーヴェンのすべてを世に問うものだった。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P54-55

ピアニストとして幸先良い出発に恵まれたかと思われる矢先、例の「耳疾」の問題が浮上し始めるのである。この、生涯ベートーヴェンを悩ますことになった「耳疾」の影響は彼に(そして、世界に、また後世に)何をもたらしたのか、大崎さんは次のように書かれている。

聴覚の喪失は作曲の困難をもたらしたのではない、それが証拠に、彼の作曲活動はその点では何の支障もなく、生涯の最後まで揺るぎなく続けられていた。そうではなく、耳疾は彼の社会活動を決定的に変えたのである。すなわち臨場する実践音楽家ではなく、市場を相手に作品を販売する、いわば書斎音楽家とならざるを得なくなった。これは音楽史上では近代的現象で、まさに職業作曲家の誕生だが、しかし後世は遺された作品にだけ焦点を当てるので、耳疾が及ぼした結果の現実はベールで包まれることとなった。
~同上書P57

ベートーヴェンの革新は、その音楽性だけでなく、音楽家としての在り方にも期せずして及んでいたことにあらためて感心する。どういう因果か、それこそ目の前に起こる事、出逢う人、そのすべてが、ベートーヴェンにとって悟るための「善知識」であったことが理解できるのだ。

ウィーンに留学した当初からベートーヴェンの才能は爆発した。数多の先達の影響から作曲家としても成功を収めるが、何よりまずはピアニストとしての名声を早々と獲得するのである。

ベートーヴェン:声楽と管弦楽のための作品集
・シェーナとアリア「初恋」WoO92(1792)(ゲルハルト・アントン・フォン・ハーレム独語原詩/伊語翻訳不詳)
・シェーナとアリア「いいえ、心配しないで」WoO92a(1802)(ピエトロ・メタスタジオ詩)
・シェーナとアリア「ああ、不実な者よ」作品65(1796)(シェーナ:ピエトロ・メタスタジオ詩/アリア:作者不詳)
・イグナーツ・ウムラウフのジンクシュピール「美しい靴屋の娘」のための2つのアリアWoO91(1795)~第2番「靴がきついのがお嫌なら」(ヨハン・ゴットロープ・シュテファニー詩?)
・アリア「キスの試み」賢い母が話すことWoO 89(1792)(クラマー・エーベルハルト・カール・シュミト詩)
・アリア「娘たちと仲良くして」WoO90(1792)(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ詩)
・イグナーツ・ウムラウフのジンクシュピール「美しい靴屋の娘」のための2つのアリアWoO91(1795)~第1番「おお、何たる人生」(ヨハン・ゴットロープ・シュテファニー詩)
・二重唱「お前の幸福な日々に」WoO93 Hess 120 (1802-03頃)(ピエトロ・メタスタジオ詩)
・三重唱曲「不信心な者よ、おののけ」作品116(1802-1803)(ジョヴァンニ・デ・ガメッラ詩)
レーッタ・ハーヴィスト(ソプラノ)
ダン・カールストレム(テノール)
ケヴィン・グリーンロウ(バリトン)
レイフ・セーゲルスタム指揮トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団(2017.9.11-13録音)

フィンランドはトゥルク・コンサートホールでの録音。
1790年代に作曲された声楽のための作品群を中心にした選曲。
そこには師ハイドンやモーツァルト、あるいはサリエリはじめとするイタリア歌劇からの影響も顕著だ(耳の病の発症はまだなかろう。前途洋々たる希望の念が、音楽の至るところに刻印される)。興味深いのは、いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」前後に書かれたであろう二重唱と三重唱が、それ以前のものに比して、より深みのある音楽となっているのは、耳疾の影響もあろうし、何より「遺書」の克服がその背景にあるものと思われる。

中でも有名な「ああ、不実な者よ」作品65などは、そこかしこにモーツァルトの木霊が聴こえ、ベートーヴェンが明らかに神童の影響を受けていることがわかる。また、どの作品もベートーヴェンの女性性の側面が表出する作品だが、セーゲルスタムの伴奏は堅実で、決して主張し過ぎず、あくまで歌手の伴奏だという認識の下、美しい音楽を聴かせてくれる。

2020年、ベートーヴェン・イヤーはコロナ禍のため記念イベントのほとんどが中止に終わった。レイフ・セーゲルスタムが手兵トゥルク・フィルと録音したベートーヴェン作品集はどれもが出色の出来。

セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン 「アテネの廃墟」ほか(2018.10録音) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン 劇音楽「エグモント」ほか(2018.5録音) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン ミサ曲ハ長調ほか(2018.5録音) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン 「プロメテウスの創造物」(2017.5録音) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」ほか(2017.5録音) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン 「シュテファン王」ほか(2018.8&10録音) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ベートーヴェン 皇帝ヨーゼフⅡ世の死を悼むカンタータ(2018.10録音)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む