朝比奈隆指揮大阪フィル ブルックナー第1番(ハース校訂によるリンツ版)(1977.1.24Live)

無骨と言えばまだ聞こえは良い。
というよりむしろ、オーケストラの技術的な問題がとても大きい。
それでも聴衆に並々ならぬ感動を喚起するのは、指揮者の作品に対する共感の強さゆえなのだろう。実際、朝比奈隆は次のように語っている。

あの全集は、当時の大きなオーケストラとしてはそんなに上手い方でもないけれど、一応、全曲を同じような安定した出来の演奏でまとめてはいます。
あまり演奏されない〈2番〉とか〈6番〉もあの頃の演奏としては、比較的安定の良いレコードになっている。
それなりの価値を持つ全集として、取って置いて頂いてもいいでしょうね。

金子建志編/解説「朝比奈隆—交響楽の世界」(早稲田出版)P313

多少の謙遜はあるにせよ、朝比奈には相応の自負があったのだと思う。
今なお燦然と輝くジァンジァンのブルックナー全集。

ブルックナーの「シンフォニー全集」は、将来、もっといいものが作れる気はしますが、あれはあれで精魂こめた仕事でした。記念品として残ってくれてもいいと思うのですがね。
~同上書P315

実際僕はCD化されて初めて耳にしたのだが、あの、いかにも野人ブルックナーらしい、決して流麗ではないごつごつした音響に心底感激した。朝比奈隆のブルックナーは何番であれ、永遠だと確信した。

・ブルックナー:交響曲第1番ハ短調(ハース校訂によるリンツ版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1977.1.24Live)

ブルックナーの音楽には作為がないといつぞや朝比奈御大は語っていた。
確かに彼の音楽は純粋無垢だ。だからこそ他人の改訂や改竄(?)を通じてもそれなりに音楽にはなったし、様々な版の問題も複雑ながら、逆に興味をそそられるのも頷ける。
一言で、器が大きいのだと僕は思う。

大阪フェスティバルホールでの実況録音。第1楽章アレグロの、躍動とはほど遠い、どちらかというと鈍い(?)跳躍が、野趣溢れるブルックナーの神髄。そして、第2楽章アダージョの、四季の移ろいを思わせる温かい詩情は、朝比奈の棒の成せる業。第3楽章スケルツォのうねりは僕たちを刺激し、終楽章の高らかな咆哮とブルックナーらしい全休止が脳みそを感化する。
前途洋々の朝比奈隆のブルックナー。

そう、作為がない。こんなのでいいのかしらん、とこちらが心配するほど作為がない。まあ文学でいえば、意味はわからないけれど聞いてると快い、そういう詩がありますわね。文字を解釈したところでたいした意味はないんだろうけど、詩として自然に耳に入ってくる。音楽というのは、本来そうあるべきなんですね。音楽にいろんな観念がまつわりついているのはおかしいわけで、あの人の音楽は、バッハとかベートーヴェンのように完成されたものから、古典時代の複雑な構成で完成されたものから、もういっぺん、何か原始的な状態に戻ったみたいな音楽ですね。
朝比奈隆「インタビュー ブルックナーの世界」
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P146

なるほど、納得だ。

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