メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調から第4楽章アダージェット(1926.5録音)ほか

今や故郷に戻って、旅の強行軍からいささか回復してみますと、想いはおのずと、あのかくも素晴らしかったアムステルダムの日々へと向かいますが、まさにこの町は私にとってたちまち第二の音楽の故郷となりました。—この点からあなたに御礼申し上げなければなりません、あなたの新鮮で活力溢れる先導に、また私の作品への意気投合した解釈と眼光紙背に徹する理解に御礼申し上げます—こうした事柄は、私たちが親しくお会いした折々にも話題にしたことですが、まさに、深く感じ入ってはいてもいくら感謝してもし尽くせないたぐいのことであります。
(1904年11月4日郵便消印、ヴィレム・メンゲルベルク宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P310

同志たるメンゲルベルクに対してのマーラーの賞讃を読むにつけ、彼のマーラー演奏の録音が第4番とアダージェットしか残されていないことに無念の思いが募る。
実際、アダージェットの、今でも考えられないであろう、蕩けるような甘美な音楽に幾度触れても痺れてしまう僕がいる(録音から1世紀近くを経ても廃れない、一世一代の名演奏だ)。

・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調から第4楽章アダージェット
ヴィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1926.5録音)

そしてやはり、ブルーノ・ワルターによる古い録音も忘れ難い演奏だ。
第6交響曲完成の折、マーラーがワルターに宛てた手紙。

あらゆる芸術同様、いろいろありますがけっきょくのところ、まさに純然たる表現手段が肝心です。音楽を愉しもうと思えば、絵を描こうと望んではならない、詩を詠もうと望んではならない、物事を文章に記そうと望んではならない、しかしながら何を音楽で愉しむのか、となればそれは人間全体なのです(つまり、感じ、考え、呼吸し、悩む、等々等々)—しかしそこで自らを表現しつくすのは音楽家であって、文人でも、哲学者でも、画家でもありません(そのすべてが音楽の中にすでに含まれているのです)。
(1904年夏、ブルーノ・ワルター宛)
~同上書P307

ショーペンハウエルの受け売りのような言葉だが、すべてが音楽に包括されているという論はあながち間違っていなさそうだ。

・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調から第4楽章アダージェット
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1938.1.15録音)

ワルターのアダージェットには、メンゲルベルクのそれにない悲哀がある。当時のヨーロッパ情勢が影響しているのかもしれない。わずか12年という差に過ぎないが、その間に世界は一変した。未来が暗澹たるものにしか思えない時代ゆえに「人間全体」を堪能しようとする精神が自ずと刻印されるようだ。また異なる意味での名演奏がここにもあった。
秋の夜長に。

メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 ブラームス 交響曲第3番(1932.5録音)ほか メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 マーラー 交響曲第4番(1939.11.9Live)ほか ワルター指揮ウィーン・フィルのハイドン「軍隊」(1938.1.10録音)ほかを聴いて思ふ ワルター指揮ウィーン・フィルのハイドン「軍隊」(1938.1.10録音)ほかを聴いて思ふ

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